【第108回】みちびと紀行~北国街道を往く(海へ) みちびと紀行 【第108回】
「本町7丁目」交差点、北国街道の分岐点から、日本海をめざして歩き出す。
日の入時刻は17:55、海に沈む夕日を見るまでにあと6時間近くある。
今日は、この町に宿をとることにした。
のんびりと行こうじゃないか。
ぶらりと寄った店で昼食をとり、地元の新聞を手にとってコーヒーを飲む。
面白そうな道を選びながら、知らない街をそぞろ歩いた。
「小川未明生誕の地」の碑を見つけた。
「日本児童文学の父、この地に生れ少年時代を過ごす」
同じ児童文学者の坪田譲治の書だ。
小川未明という名も、彼の代表作「赤いろうそくと人魚」も、記憶の隅には残っているが、どんな話だったか鮮明には覚えていない。
小学校低学年ごろに絵本で読んだか、紙芝居で見たか、本当にかすかな記憶だ。
旅から戻り、「小川未明童話集」を取り寄せて読んだら、こんな話だったのかと驚いた。
心温まる話だったかと思いきや、海の底のように、暗く冷たいストーリー。
人間は善でも悪でもない。
その時々の状況によって揺らいでしまう、弱く不安定な存在なのだ。
彼の作品群には一貫してそんなテーマがあるようで、もし大人が読んだとしたらなおのこと、その非情な展開にやりきれない思いを抱くことだろう。
これが、彼が活躍した大正時代の児童文学なのだ。
当時は、夢や希望のファンタジーよりも、人間界の厳しい現実を子どもに伝えることを旨としたのか。
はたまた、子どもたちが厳しい現実を知っていたが故に、これくらいの冷徹さがなければ読み応えがなかったか。
明治・大正期に育った子どもたちの人間に対する洞察力に、当時の児童文学はどう影響したのだろう。
地図を見たら、この街を流れる川が関川だということに気づいた。
長野から新潟へと橋を渡って県境を越えたあの川だ。
懐かしい人にでも会いに行くように、関川の岸辺に立つと、水音を立てて谷間を下っていったあの水は、今海へ向かって静かに流れていく。
川の流れと街道の旅がシンクロするように胸に響いた。
左岸の向こうに傾き始めた太陽が、関川の水面をかすかなオレンジ色に染めていく。
河口へと土手の道を歩いていくと、車を停め釣り具を担いでいく人がいた。
「スズキが結構釣れるんですよ。」
汽水域を好むこの魚にとって、関川の河口は絶好の住みからしい。
今日はずっとそれを楽しみにしていたと言わんばかりに、喜びを全身に表わしながら、その人は川辺へと跳ねるように向かっていった。
船のマストを模した街灯が並ぶ橋を西へと渡っていく。
日本海の夕日を眺めるスポット、船見公園まではもうすぐだ。
左岸に渡ると、古びた港町の趣が漂い始めた。
このあたりは、北海道から西日本まで、日本海を行き交った北前船の寄港地で、中世では「直江津」または「今町湊」といえば、日本の重要な港「三津七湊(さんしんしちそう)」に数えられるほどだったらしい。
北前船は、寄港地ごとにありとあらゆる物資を買い取って船に積み込み、また売りさばいた。
さながら「動く総合商社」のようだったという。
道すがら見かけた立派なライオン像がある白亜の館は、もともとは旧直江津銀行の建物で、大正時代になってから高橋達太という人物が買い取り、回漕店の社屋としてここに移築したものだ。
かつて海運業で潤った町の繁栄がしのばれる。
そういえば、明治期に日本の東西を結ぶ鉄道路線が計画され、東海道線に先駆けて中山道の碓氷峠を経る路線が開通した当時は、東京の上野と直江津間を結んでいたことを思い出した。
( 参照:【第98回】みちびと紀行 )
早々と直江津まで線路を敷いたのは、ここが終点ではなく、海への玄関だったからだろう。
この先に広がる日本海には、航路という名の「海の道」が続いていたのだ。
あのカーブを曲がれば海だ。
と、進んだ先に、何やら盛り土をした場所がある。
「安寿姫と厨子王丸の供養塔」と説明板が掲げられていた。
すっかり架空の物語かと思っていたけれど、史実なのか?
いずれにせよ、物語を構成する下敷きとなる出来事はあったのだろう。
平安時代末期、讒言により九州の筑紫に流された陸奥岩城の国守を追って、夫人と召使いの姥竹は、安寿姫(14歳)と厨子王丸(12歳)の2子を連れ旅立つ。
おそらく一行は、今の福島県いわき市から内陸へと向かい、東山道を辿ったのだろう。
ただ、経緯は分からないが、そのまま陸路で京都を経るのではなく、日本海に出ていくルートをとった。たぶん北国街道を通って。
そしてようやく海に出たこの場所で一行は船頭に騙され、夫人と姥竹は佐渡へ、安寿と厨子王は宮津の山椒大夫へと売られてしまったのだ。
軍医として軍都・高田を訪れた森鴎外は、この地を徒歩で通ったという。
そのときに小説の着想を得たのか、小説を書く目的でここを訪れたのかはわからない。
ハッピーエンドともバッドエンドとも言えない、冷酷な人間界を淡々と写実するその短編小説は、どこか小川未明の童話にも通じるように思えた。
関川を流れる水が、海へと旅立っていく。
目の前には灰色の日本海が横たわっていた。
日の入り時刻まであと1時間弱、船見公園の堤防に座り、日没を待つ。
波打ち際でたわむれる家族、犬と散歩する人、車を停めて砂浜へと繰り出す恋人たち。
思いおもいに、日本海に沈む夕日を待っている。
「こんにちは」
背後から声がした。
振り向くとおばあさんだった。
「今日は夕日が見れて良かったわねぇ。」
聞けば、昨日は風が激しく、夕日も見れなかったらしい。
天気が良くて夕日が見れそうな日は、いつもこうして浜辺を歩くのだそうだ。
「ゴミを拾ってくださっているのですか?」
手に提げたビニール袋が気になったので尋ねると、「天気が良い日だけね」と言って照れ臭そうに去っていった。
気づいてみれば、こうしてただただ夕日を待つことに没頭できるのは、浜辺が綺麗に保たれているからこそなのだ。
杖をつきながらゆっくりと歩いていくその後ろ姿が、やけにありがたく思えた。
日没が始まった。
夕日というのは、なぜこうも魂を揺さぶるのだろう。
遠くでカップルが海に向かって何やら叫んでいる。
「青春の1ページだな」と、微笑ましく眺めていた心の内に、やがて羨望の感情が湧いてきた。
彼らが一組の男女だったからではない。
彼らが、叫ぶほどの何かを持っていたからなのだ。
ぽつりぽつりと人影が消え、ようやく腰を上げた。
観劇から家路につくかのように、様々なシーンを思い浮かべながら今晩の宿へと歩いて行く。
海というゴールを目前にした関川は、落ち着き払ったように静かに流れ、水面に残照を映していた。