しのだひろえの歩っとタイム Vol.27
あなただけの興味のかけらを集める~東京・銀座裏道さんぽ②~
前回の銀座裏道さんぽに続き、ややマニアックな目線で歩く銀座の裏道さんぽ。同じ道だって街だって常に変化しているもの。目線が変わるだけできっと面白い何かに出会えるはずだ。
有楽町線銀座一丁目駅と紀之国橋
銀座三原通りは、江戸時代の三十間川の川沿いであったことは前回のコラムでもご紹介したとおり。オレンジの線が銀座三原通りである。
現代地図
江戸地図
江戸地図でも確認できる紀之国橋は、現在の東京メトロ・有楽町線銀座一丁目駅の10,11出口にあたる。
ならばどこかに三十間川や紀之国橋の痕跡が残っているのではないかと探し歩いてみたが見つけることはできなかった。ふだん銀座を歩いていても「三十間」という言葉を見かけることはほぼない。きっと江戸の人々にとっては愛着のある言葉だったのだろうが、街が変われば土地や川の名前も変わっていくものなのかもしれない。
三十間川はなぜなくなったのか
ではいつこの川はなくなったのだろうか。中央区立図書館地域資料室の郷土だよりによると「昭和二三年六月一日に埋め立てが決定されて工事が始まり、翌二四年三月中にすべてが埋め立てられました。(原文まま)」とある。
なぜ埋め立てられるようになったのかについては、「太平洋戦争の末期の東京大空襲で、中央区の大部分が焼け野原になりました。(中略)占領軍は昭和二三年四月一日に東京都に対し、残土片付けを命令(中略)手近かな江戸以来の水路に残土を投げ込むことで、命令に応じました。」とある。
戦災時の残土の片付けにより水路が陸地になり、一年もかからず埋め立ては完了し、ここから銀座の都心機能がますます発展していったということだ。
ここまで地面のブロックを眺めて歩くということをしてきたが、この下に、戦争の痕跡がのこっていると思うと、ブロックさえも見る目が変わる。まして銀座という街を見る目はガラッと変わる。
地下通路までもが面白い
地面のタイルを眺めて楽しむというマニアックさが、思いがけない歴史の痕跡とつながっていたことが分かれば、ますます追わずにはいられない。
こうして地面を眺めながら歩いていくと、やがて晴海通りに到着した。江戸時代には三原橋という橋がかかっていた場所だ。
地下を抜けて反対側に向かう。東京メトロ・銀座四丁目から都営地下鉄・東京メトロ東銀座駅に抜けるこの地下通路を横断したがこの地下通路も実に絵になる。
絵になる地下通路といえば、GINZA SIX(ギンザ シックス)への地下通路も美しい。私なりの感覚で表現すれば、未来的。宇宙船に乗り込む搭乗口のようだ。もっとマニアックな視点でいえば、壁の切り替わりに日常と非日常の切り替えを感じるし、壁職人もここにはかなり気を使ったはずだ。この地下通路だけで妄想が膨らむ。
こうしてふと気がつけば、地面のブロックから地下通路へと興味の方向は広がり、銀座裏道さんぽはますます楽しくなっていくのである。
歩いて興味のかけらを集める
日常の街にも歴史はある。そこに人が住んでいれば人々が作り上げてきた想いや技術がある。それをひとつひとつ紐解いていくことは、きっとあなたの知的好奇心を沸き立たせるはずだ。
たとえそれが他の人にとってとるに足らないことであっても、あなたにとって興味をそそらえるもの。「あれ?」と思わず目を留めてしまうもの。それがどんなにささいなことでもいい。そのかけらが、いつしかあなたの人生楽しみになっていったらラッキーだ。自分が何に興味をもっているかは、触れてみないと分からない。だからこそ外に出る、歩く、触れる。それがきっといくつになっても、若々しくある秘訣である。
<出典>
『中央区立図書館地域資料室』「郷土だより」第69号 平成2年9月30日 より
(編集・発行:東京都中央区立 京橋図書館)
https://www.library.city.chuo.tokyo.jp/contents?3&pid=115
https://www.library.city.chuo.tokyo.jp/images/upload/kyodo_069.pdf