
みち旅100選 文化の旅 新日本歩く道紀行100選 歴史の旅 北陸道『倶利伽羅峠』
そのとき時代は動いた

源平の合戦の中でも、平氏滅亡のきっかけとなった闘いの一つに数えられる『倶利伽羅峠の合戦』。北陸道は、五畿七道の一つに数えられ古くから京に続く要路であり、平家追討の宣旨に従い木曽義仲が率いる源氏5万が上洛する。五畿とは京を囲む山城、大和、河内、和泉、摂津を言い、七道は東山道、北陸道、山陰道、東海道、山陽道、南海道、西海道を言う。
京に向かう途上、平維盛率いる平氏10万の軍勢と倶利伽羅峠で対峙することとなる。
平維盛は、猿ケ馬場に本陣を置き義仲は、倶利伽羅峠に通じる黒坂口に陣を敷く。女武者のはしりで知られる巴御前は、小矢部側の麓に陣を張る。
自らに倍する軍勢を擁する維盛に対し、義仲は一計を案じる。世にいう火牛の計である。牛の角に松明をつけ夜襲をかける。これに不意を突かれた平氏の軍勢は算を乱し敗走。加えて、目覚ましい巴御前の活躍。倶利伽羅峠の深い谷に屍を晒すこととなり、衰えてゆく平氏。
破竹の勢いで京に上る義仲は、朝日将軍と呼ばれ、それを多くの武勇で支える巴御前。生死の際で生きる二人の激しくも艶やかなひと時を想うと思わずにやけてしまうのは私だけだろうか。

猿ケ馬場 (倶利伽羅古戦場)
倶利伽羅合戦の際、平家が本陣とした地。
春には約6000本のハ重桜が咲き誇る。

倶利迦羅不動寺
日本三不動の1つ。養老2年(718)に、善無畏三蔵が北陸巡錫の際、砺波山山中に棲み災いをもたらしていた魔物を、倶
利伽羅竜王を勧請して退治。
この伝説を探訪してみるのも楽しい。

五郎丸屋 銘菓 峠の逢瀬
艶っぽい名のお菓子である。
さぞや・・・・・。
古から後世へ
1000の道を歩く旅が、今はじまる。

朝日将軍と巴御前
二人に想いを馳せる峠みち。
その時、時代が動いた。平氏滅亡の下り坂 。


小谷部で265年続く老舗 五郎丸屋 16代当主 渡邉克明さん
伝統の技を継承しつつ、現代風アレンジを加え、常に極みを目指す菓子づくりの銘人。
当地を訪れたらぜひ味わってほしい銘菓の数々。
2017年全国菓子大博覧会・三重 において、 「T五」が最高賞の「名誉総裁賞」を受賞。