【奈良県】暗越奈良街道
秋の風景と歴史を楽しむ万葉時代からの古道散策。頂上の茶屋もまた楽し
暗越奈良街道とは、大阪と奈良を最短距離でつなぐ八里八町(約34㎞)の道のり。生駒山南の鞍部(あんぶ)、標高455.8mを越えていく峠道だ。その歴史は古く、日下直越(くさかのただごえ)道と共に奈良時代以前から使用されてきた古道である。
現在は国道308号線だが、国道とはいえ自動車が1台通行できるほどの幅しかなく、一速でもスピードがでない急勾配で「酷道」として有名。おかげで全国の「酷道」好きと自転車愛好家、バイカー、走り屋にマニアックな人気を誇る道路となっている。
今回は奈良側から暗峠の碑までの全長4kmの道のりをウォーキング。近鉄南生駒駅を出発して竜田川を越え、「小瀬町西」の交差点を西方向に進むと最初のY字路に。
ずっと坂道だがあまり苦にならない
最初のY字路あたりから坂道が始まり、最後までずっと登り坂だ。
ウンせこらせと登っていくと、住宅街を抜けて田園地帯に。秋ののどかな里山が広がり、急に歩くのが楽しくなる。
ススキ、コスモス、稲など豊かな自然を満喫しながら歩けるので、登り坂だが気持ちは折れない。また適度な曲がり角が次の局面への新鮮さを演出してくれる。
登り坂なので、つい下ばかり向いて必死に登りがちだが、途中でときどき振り返るといい。進んできた道のりが見え、だんだんと視野が開けて景色が良くなってくるのもうれしい。
歴史を感じる石仏や石碑も見どころのひとつ
藤尾(ふじお)町阿弥陀如来は、汗ばんだ身体にひんやりと心地よい木立の中にある。手を合わせながら小休憩をとる。説明看板を読み、「文永七年っていつ?1270年?鎌倉時代中期かぁ…」などと当時を夢想してみる。
また、西畑集落にある石仏群万葉歌碑には防人(さきもり)の歌が刻まれている。
「難波門を榜ぎ出てみれば神さぶる生駒高嶺に雲もたなびく」
(下野国の防人・大田部三成。意味:難波の港から出航し振り返ってみると、神々しい生駒の高い峰に雲がたなびいている)
現代では、奈良と大阪を結ぶ主要道路は阪奈道路や第二阪奈有料道路となった。しかし奈良時代には、ここが難波と平城京を最短距離で結ぶ道だった。いにしえの世から、多くの人とモノがこの道を通ったのだ。
天平時代には大仏開眼に招かれたインドからの僧が(736年)この道を旅したらしい。奈良時代には中国からの鑑真和上(753年)や遣唐使らが珍しいものを持って平城京へと旅路を急いだことだろう。この道は当時の国際通りであり、シルクロードの一端なのだ。正倉院に残る宝物はほとんど、この道を運ばれたのかもしれない。
江戸時代には大名が参勤交代をした。大和郡山藩主・豊臣秀長公も駕籠に揺られてここを通り過ぎたろう。1694年(元禄7年)菊の節句(9月9日)には、俳人・松尾芭蕉がこの道を大阪へと歩み、「菊の香に くらがり越ゆる 節句かな」という句を残している。また江戸時代後期(1700年代)には庶民がこぞってお伊勢参りをした。
暗越奈良街道をのんびり散策しつつ「万葉集や防人なんて教科書でしか見たことないけど、ここを通ったのかぁ……」と、当時の人々の暮らしに思いを馳せるのも一興。さまざまな先人がここを旅したのだ。そう思うと坂道を登る足にも力が入る。
暗峠は「ちょうどいい」ウォーキングコース
もはや「暗がり峠」ではないほど、現在の奈良側はきれいに整備され、鬱蒼とした感じはなくなっている。普段から運動不足な筆者でも2時間弱でゴールに到達。頂上到着時のカフェでの一服は格別。
道中の里山風景、「山を登る」という達成感、4㎞という長すぎない距離とゴール地点での茶屋やカフェでのひととき。暗越奈良街道は総合的に、ウォーキングに「ちょうどいい」コースだった。
生駒市コミュニティバスが1時間に1本程度運行しているので、歩き疲れたら帰りはバスという手もあり。