260年続くバトンを次世代に残す大中尾棚田の道
豊かな水が田を潤す清冽な音、カエルたちの元気な鳴き声、鳥のさえずり。先代が残した情緒変わらずある音が、降るように満ちている。
その場所は長崎市北西部にある大中尾棚田。開墾されて約260年の歴史がある。8.9ヘクタールの山あいに450枚ほどの棚田が広がり、日本一の清流に選ばれたこともある神浦川の上流から、4.2キロメートルもの水路を通して水を引いている。ここで育まれる米は甘くて艶があり、冷めてもなお格別と評判である。1999年には「日本の棚田百選」に認定されるなど、景観の評価も高い。
だが、その大中尾棚田には深刻な悩みがある。
良質の米を産し、風光明媚なれど、過疎は進み、棚田の継続が困難という。
後継者問題への取り組みとして、平成14年3月に大中尾棚田保全組合を作り、棚田での体験受入・「棚田オーナー制度」・イベントなど実施し、「案山子コンテストin大中尾棚田」「大中尾棚田フォトコンテスト」「全国棚田(千枚田)サミット」「竹燈籠による”火祭り”」「大中尾棚田トラスト制度」など、様々なイベントを実施している。
大中尾の棚田の起源は戦国時代から江戸時代とされている。水源が近くになく、4.2km離れた神浦川の上流から水路を使って水を取り入れており、この水路の途中に、七丈が岳というおよそ23mの岳があり、大変な難工事だったと伝えられている。その当時殿様が「千両箱を積んでもできんのか」と工事の人たちに頼み込んで作ったという話もある。水害などの被害を受けた時も、その頃の水路保全組合が協力し、補修工事を行い、今日まで大切に守り続けられている。
20年度の全国棚田サミット開催は大きな契機となり、この年から始まった棚田を竹灯籠で彩る「火祭り」イベントや、例年の案山子コンテストなど、260年続くバトンを次世代に残すためますます盛り上がりを見せている。
守り続けなければいけない歴史の意志。単に景観やその地の文化にとどまらず、一歩踏み込んだ魅力がある大中尾棚田の道を歩んでみてはいかがだろうか。
現在まで受け継がれてきた大中尾棚田は平成11年に日本の棚田百選に選定されたことにより、町民の取り組みは一変した。後継者に悩む町の過疎化を背景に、グリーンツーリズムへの取組みを通じて、地域外に大中尾棚田の魅力を届け、この土地を残すため、様々な取り組みが行なわれている。
棚田オーナー制度での稲刈り
出典:http://www.maff.go.jp/kyusyu/portal/toprunner/1712_onakao.html
日本の棚田百選に選ばれた大中尾棚田の棚田米。毎年行なわれる田植えの参加者は年々増えている。参加者が横一列にならんで、植えていき、同じ汗を流す。そして自分で植えた稲をその季節に稲刈りする。農作業の工程を満喫し、収穫の喜びを味わうイベントは参加者全員を笑顔にさせる。もちろんその時に出されるお弁当は棚田米である。
参加者は口をそろえてこういう。
「作業後に食べた弁当の棚田米が格別に甘く感じられました」