球磨川と人吉・相良の歴史を訪ねるみち
九州の奥座敷、九州の小京都という名で呼ばれる人吉市。
九州の奥座敷、九州の小京都という名で呼ばれる人吉市。今でもまちのあちこちに古い町並みや、独特の風習をみることができる場所だ。
独自の文化を育んだ背景としては、鎌倉時代に相良氏が人吉城を構えて以来、明治時代まで約700年の間ずっと同じ領主によって支配されたからだといわれている。歴史好きな人ならご存知だろうが、鎌倉時代から近代までずっと同じ領主によって支配された藩は、実に珍しい。
他の地域より侵略を受けず、争いを知らず、球磨川の清流と山の間の澄んだ空気のなかで、ゆっくりと文化を育んでいったのだろう。九州山地のなかにぽっかりと浮かぶ、球磨川沿いの桃源郷。そんな言葉がぴったりの場所だ。
SL人吉号 (人吉鉄道ミュージアム)
列車を降りて人吉駅を出るとすぐに、人吉城をイメージした「からくり時計」が見えてくる。1時間おきの正時にお殿様をモチーフにした人形が出てきて、民謡「球磨の六調子」の音色に合わせて踊る。右手奥には、人吉鉄道ミュージアム。人吉の道はこの駅前からスタートするが、余裕のある方は人吉鉄道ミュージアムにもぜひ立ち寄っていただきたい。JR九州が誇るデザイナー、水戸岡鋭治の列車のモデルを眺めることができる。
青井阿蘇神社 蓮池
駅からは社殿前の蓮池横を通り、朱塗りの橋を渡って国宝「青井阿蘇神社」を目指そう。806年に建てられた南九州を代表する神社で、中世人吉球磨地方の独自性の強い茅葺屋根の建築の中に、色鮮やかな桃山期の装飾性を取り入れているのが特徴だ。大きな伝統ある古い歴史がある人吉は、多くの古刹・名刹がある。
幽霊画
そのなかでもまず立ち寄っていただきたいのが、幽霊伝説のある永国寺で、伝説によると話はこうだ。
「その昔、人吉に若く美しい女がいた。女は地元の有力者の妾だった。しかし、本妻がその女に虐めや嫌がらせを繰り返し、遂に女は自殺。それからというもの本妻の枕元に夜な夜な女が立つようになったという。困った本妻は永国寺の和尚に相談。和尚は若く美しかったが今は幽霊となってしまった女に池にうつった自分の醜い姿を見せたところ、女は嘆き悲しんだ。そして、引導を渡してほしいと和尚に頼み、和尚が引導を渡すと以来幽霊は二度と現れることはなかった・・・」
幽霊が自分の姿をうつした池は、今でも本堂裏にあり、その姿は掛け軸で見ることができる。そもそもこの寺は室町時代、相良氏によって建立されたことに遡る古刹。西南戦争のときには、あの西郷隆盛が滞在したことでも知られており、一見の価値あり。
その他にも相良藩の菩提寺であった願成寺、相良藩主が母親を供養するために建てた大建寺なども見ておきたい。
ガラ&チョク、ソラギュウ
球磨川に出たら、人吉城跡が見えてくる。相良藩のお城があったところで、現在は天守閣はないが、球磨川をお堀代わりにした珍しい築城の様子は今でも見ることができる。春は桜、秋は真っ赤なもみじで有名で、多くの観光客が訪れる場所だ。三日月の紋様があることから別名「繊月城」ともいわれている。
その「繊月城」からすぐの場所にあるのが、「繊月酒造」。名前の由来はやはりお城から。「繊月」という名の焼酎を聞いたことがあるかたも多いのではないだろうか。酒蔵は無料で見学・試飲ができるのでぜひ立ち寄ってみてほしい。
スッキリした味わいと風味豊かな薫りが特徴の球磨焼酎には、減圧蒸留と常圧蒸留があり、軽く飲みたいなら減圧蒸留、昔ながらのクセのある個性的な味を好むのなら常圧蒸留がおすすめ。常圧はアルコール度が30〜40度と高く、これをストレートでガラ(徳利)とチョク(杯)という酒器を使って飲むのが人吉っ子本来の飲み方。
なかでもソラギュウというチョクは、下に穴が空いていて円錐型になっているため、焼酎を入れたまま下に置くことはできない。酒席の遊びに使われることが多く球磨拳(じゃんけんのような遊び)などに負けると「ソラ」と差し出され「キュッ」と飲み干さなければならない、というものだ。なかなか激しい遊びだが、人吉の風習を垣間見ることができる。
球磨焼酎は普通の米焼酎とは一線を画し、人吉・球磨地方の地下水を使い、人吉・球磨地方で蒸留、完成させたものをだけを指す。九州山地に囲まれた盆地から生まれる米、球磨川の澄んだ水からできる球磨の恵みといった酒だといえる。
球磨焼酎も、青井阿蘇神社も、古い寺の数々も、すべて相良藩が残した宝もの。山々に囲まれ、閉ざされているけれども豊かな人吉の盆地のなかで、脈々と受け継がれてきたものばかりだ。ぜひ自分の足で歩き、まちのあちこちに見ることができる相良氏700年の歴史が残した宝ものに触れてほしい。
人吉温泉観光協会HP 本格焼酎の源流 球磨焼酎