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【東北復幸漫歩 第8回】みちびと紀行~相馬街道を往く 東北復幸漫歩~歩くことで見えるコト~
「塩の道」の中継点、川俣町・山木屋地区
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比曽集落を後にして、二本松をめざし相馬街道を進む。
道はしだいに上り坂になっていく。「比曽坂」に差し掛かったのだ。
ふり返って比曽集落を見渡すと、放射能の除去土壌が詰まったフレコンバッグは、そこからはもう見えなかった。
寂しくはあるけれど、殺伐とはしていない、昔からそうであったように、冬の穏やかな里の風景が広がっていた。

道の脇に祠があり、「トリアゲ坂」の碑が隠れるように立っているのを見つけた。
この道を通じて塩が運ばれていた頃、比曽坂は「トリアゲ坂」と呼ばれていた。
この坂を上っていた先が相馬藩と二本松藩の境界で、「荷物改め」が行われていたらしい。
荷物を「取り上げ」て検査したので、「トリアゲ坂」というわけだ。

道は鋭角に曲がり、勾配を上げていった。

峠を越えて、飯舘村と別れ、福島県伊達郡川俣町に入った。
山の上でガサゴソと音がする。
熊か?と思って身構えると、茂みをかき分けて、中からオレンジ色の作業着にヘルメット姿の男性が現れた。
人に出会うのは久しぶりだ。
「こんにちは」と下から声を掛けると、向こうも話したかったのか、明るい声で挨拶が返ってきた。20代と見える。
「ハイキングですか?」
「ええ、まあ。塩の道っていうのを歩いているんです。」
「あ、ここそういう道みたいですね。さっき、そういう道しるべ見ました。」
「そうなんですよ。相馬から2日がかりで歩いているんです。」
「いいですね、そういうの。道があって。僕なんか道もないところ歩くのが仕事だから、、、」
よくよく訊けば、山の中を歩きながら、送電線を引くルートを決めているそうだ。
言われてみれば確かに、「道がある」ということは幸運なことだ。
誰かが切りひらき、先達が歩いた道を、辿って行きさえすればいいのだから。
「道を辿る」という行為は、ひとりであっても、孤独ではないのだ。

しばらく歩くと、「おせん茶屋」という場所があった。
石碑には、ひとつの逸話が刻まれている。
ある若い旅の石工が、この地のお寺から頼まれ、お地蔵さまを作ることになった。
何日にもおよぶ作業で、石工はやがて、泊まっていた家の娘と恋に落ちた。
けれど、お地蔵さまができあがれば、娘と別れなければならない。
思いあまった末に、石工はわざとお地蔵さまの肩を切り落としてしまった。
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「恋の悩みを背負わされて肩をそがれた地蔵尊」と、末尾に刻まれている。
微妙な表現ではあるけれど、おそらく美談として伝わっているのだろう。
この結末がどうなったかは知らない。
けれど、それほど強く純粋に人を愛しているのであれば、たとえ罰当たりなことをしたとしても許してあげようじゃないか。
お地蔵さま、気の毒なことをしてしまいましたが、すみません。
そんな思いが込められているように思えた。
しかし、なんと不器用な若者だろう。もっと要領よくできないものか。
そんなことをちらと考えたけれど、もしそうやっていたら逸話として残されてはいないはずだ。
「純粋であること」、これは人々の心を揺り動かすためには必要条件なのだ。

山木屋集落が見えてきた。 川俣町の中心部からは12kmほど離れた場所にある。 川俣町では、この山木屋地区が、福島第一原発の事故の避難指示を受け、しばらく「避難指示解除準備区域」に指定され、2017年3月31日に、この「区域指定」が解除された。

ここには「とんやの郷」という新しい施設があって、中には行政サービス窓口や、小売店、レストランが整備されている。
帰還した住民の生活支援や、人々が集まってにぎわいを作り出すための「復興拠点」ということだ。
「とんやの郷」は公募で選ばれた名前で、このあたりが昔から山木屋の中心部にあたり、「とんやめぇ(問屋前)」と呼ばれていたことに由来するらしい。
「とんや(問屋)場」は、街道筋で人馬の継ぎ立てを行う場所で、ここで必要な馬や人足を用意しておき、荷物を次の目的地までリレーして運ぶ手配をしていた。
今でいえば、運送業者のようなものだった。
ここは「塩の道」の重要な中継地点だったのだ。
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川俣町公式キャラクター「小手姫様」
時刻は10:00am。
コーヒーでも飲もうとレストランの方に行くと、営業時間は11:00amからだという。
ぶらぶらと行政サービスコーナーを見学していたら、川俣町公式キャラクターの「小手姫様」が目に入った。
川俣町には「小手姫(おてひめ)伝説」が残っていて、そのもととなったのが、小手子(こてこ)という第32代崇峻天皇の妃のことだった。
崇峻天皇は、歴代天皇の中で唯一、殺害されたことが史実で明らかになっている天皇で、蘇我馬子の手引きによる暗殺だったのではないかと言われている。
天皇が暗殺されたあと、まずは、小手子との間に生まれた蜂子皇子が、聖徳太子の計らいで都を逃れ、出羽国にたどり着く。
蜂子皇子は、その後、出羽三山の開祖となったといわれている。
続いて、小手子も東北に落ち延び、蜂子皇子を探し求めた。
そうしている間に、故郷の大和の風情に似たこの川俣町にとどまり、桑を植え、養蚕の技術を人々に広めたという。
川俣町は、それ以降養蚕業・絹織物業で繁栄し、「絹の里」として知られることとなった。
奈良の都から遙か遠く逃れた皇族たち、そして彼らを迎え入れた里人たち。
それは、どこからか運ばれた種子を大地が受けて花を咲かせるのに似て、土地の「受容力」が文化を育んだ好例なのだろう。
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「県道62号・原町・二本松線」に沿って歩いていく。
先ほどの「とんやの郷」でコーヒーを飲みそこねたので、どこか一休みできるところはないかとGoogleマップで探してみると、この先に「ケヤキの集会場」という喫茶店のマークが現れた。
よし、ここで少し休もう。

のどかな田舎道が続いて、気分が晴れ晴れしてくる。
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マップが指し示している場所に到着した。
喫茶店は跡形もなく、そこには大きなケヤキの木とベンチが残されているだけだった。
目の前には、低い山々の裾の、おそらく何世代にもわたって切りひらき受け継がれてきたであろう土地に、整った水田が広がっていた。
寂しくもあり、温かくもあり、懐かしい感情がこみ上げてくる。
しばらくそこに腰かけて、ただ時の流れを感じていた。
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時刻は11:00am。そろそろお腹が空いてきた。
このぶんだと、飲食店はしばらくなさそうだ。
9km先の戸沢集落まで、ちょこちょこ甘いものを口に入れながら歩いていこう。
何度も蛇行しながら、相馬街道は二本松に続いていった。
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筆:渡辺マサヲ