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【第121回】みちびと紀行~日光街道を往く(石橋~宇都宮) みちびと紀行 【第121回】

下石橋の一里塚の写真下石橋の一里塚
林の中の道を抜けた写真林の中の道を抜けた

林の中の旧街道を進んでいくと、やがて「下石橋一里塚」の説明板が現れた。下野市日光街道一里塚保存会によって令和3年2月に設置されたものだ。
ここは、街道の両側にある一里塚のうちの西塚がかつてあった場所で、数十年前まで残っていた東塚の方は、開発によって消滅してしまったらしい。
街道は人びとの生活とともにある。社会の変化に合わせて道の姿が変わるのは、残念だが自然なことだ。
けれど、今ある社会もその先の未来も、過去からの延長線上にある。現在は、過去から続く道の途中だとも言える。
日本の街道では、その記憶をとどめておくために、無数の石碑を残し、樹木を植えた。
芭蕉も、西行や宗祇など先人たちの足跡をたどり、歌枕では彼らの情感を汲み取って、目前にある自身の俳諧を極めることを旅の目的とした。
これまで辿ってきた道、根っこ、ルーツを記憶すること。
これは、過去を振り返りながら未来に進むための生産的な行為なのだ。

石橋宿の街並みの写真石橋宿の街並み
石橋本陣跡の写真石橋本陣跡
石橋駅の方角はメルヘンチックな景観の写真石橋駅の方角はメルヘンチックな景観

林を抜け、国道4号線に上書きされた日光街道に合流すると、ほどなくして石橋宿に入った。
昔の面影は見つかるだろうか。
「石橋宿本陣跡」、集合住宅の敷地には、そっけない案内柱が立っている。
日光街道からJR石橋駅に向かう通りを望むと、とんがりのある街灯の向こうに、同じくとんがり帽子の駅舎が見える。テーマパークの入り口のようだ。
石橋町には、「グリムの森」という下野市の施設がある。
グリム兄弟の生地、ドイツ語で「石橋」を意味するシュタインブリッケン村と姉妹都市なのだそうだ。
まあ、そんなところか。

石橋宿を出て次の宿場町への写真石橋宿を出て次の宿場町へ

石橋宿を出ると、ちょうど街道がカーブするあたりに、見事な巨樹が立っている。
樹齢は100年を超えているだろう。
ああ、良かった。この木が残されていて。
しっかりと大地に根を張ったこの大樹に、ようやく昔の面影を見た。

北関東道の高架をくぐる写真北関東道の高架をくぐる
宇都宮市に入った。ここからが長い写真宇都宮市に入った。ここからが長い

4:20pm、北関東自動車道の高架をくぐり、宇都宮市に入った。
今晩の宿がある宇都宮までは、もうすぐか……
と思いきや、ここからの道のりが長かった。
日光街道16番目の宿場・雀宮(すずめのみや)宿に着く頃には、あたりはすっかり夕暮れ色に染まってしまった。

雀宮宿の街並みの写真雀宮宿の街並み
雀宮本陣跡の写真雀宮本陣跡
雀宮神社の写真雀宮神社

「雀宮」、不思議な名前だ。
この宿場町にある神社にちなんでつけられたらしい。
その「雀宮神社」にお参りする。
主祭神は御諸別王(みもろわけのきみ)。毛野氏の祖先にあたる豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の曾孫で、代々、蝦夷平定と東国統治を担った皇族のひとりだ。
立ち寄りはしなかったが、古河にも「雀神社」というものがある。
そちらは豊城入彦命が東国鎮護のために勧請した「鎮社(しずめのやしろ)」が起源だというから、「鎮(しずめ)」が転じて「雀(すずめ)」になったのだろう。
そういえば、最近公開された新海誠監督のアニメ映画「すずめの戸締り」も、その名の主人公が災いを「鎮める」ストーリーだから、なにかしら関係があるのかもしれない。

豊城入彦命は崇神天皇の皇子で、東国平定のために派遣され、毛野国を対東北勢力の「前線基地」とした。
毛野はのちに、上毛野国(かみつけのくに)と下毛野国(しもつけのくに)とに分かれ、やがて上野(こうずけ、今の群馬県)と下野(しもつけ、今の栃木県)と呼ばれるようになる。
そしてこの豊城入彦命は、群馬県の赤城神社と、栃木県の宇都宮二荒神社に、主祭神として祭られた。
雀宮宿の雀宮神社、古河宿の雀神社、そして宇都宮二荒神社……
東国を鎮めるための神社が日光街道沿いにある。
このことが、家康が日光に東照大権現として祭られていることと重なって、なんだか象徴的に思えた。

陸上自衛隊の北宇都宮駐屯地の写真陸上自衛隊の北宇都宮駐屯地
すっかり暗くなってしまった写真すっかり暗くなってしまった

5:15pm、陸上自衛隊の北宇都宮駐屯地を過ぎるころには、とっくに日は落ちていた。
長年の歩き旅で身につけた「早足歩行」で、歩幅小さくスタスタと歩き続ける。
「東京街道」という標識が現れた。
あれ?ここは日光街道では?
どうやら宇都宮の人は、国道119号の松原交差点以北の道を「日光街道」と呼ぶのだそうで、宇都宮から南は、東京方面へ行く道ということで「東京街道」という通称が使われているらしい。
確かに宇都宮の人からしたら、すぐ先の日光へ行く道と反対方向なのに、「日光街道」と呼ぶのは変な気がするだろう。
東京からはるばる遠くの地まで歩いて来たことを改めて思った。

東武宇都宮線をくぐる写真東武宇都宮線をくぐる

もうかなり歩いているはずなのに、まったく疲れを感じない。頭の中がスッキリしている。
このままなんの支障もなく宇都宮に到達できそうだ。
着いたらビールを飲もう。
そうそう、忘れちゃいけない。宇都宮餃子を食べなくては……
などと、にやにやしながら夜の街を歩いていく。

オリオン通りの写真オリオン通り
全長280mのアーケードの写真全長280mのアーケード
結局ここにした写真結局ここにした

6:30pm 、ネオンがまぶしくなってきた。宇都宮の市街地に入ったのだ。
とりあえずビールと餃子だ!
日光街道から分かれる「旧奥州街道」が、宇都宮一の繁華街「オリオン通り」となっているので、いつか行く旅の下見を兼ねて歩いていく。
ビールと餃子、ビールと餃子………
そう唱えながら、全長280mのアーケード街を歩いていくが、店がずらりとあって、なかなか決められない。
途中で「餃子通り」があると知り、そちらへ行ってみると行列ができていた。
そこでハッと気づく。「宇都宮餃子」の定義はなんだ?と。
調べたら、特段これといったものはなかった。
宇都宮市の1世帯あたりの餃子の年間購入額が長年全国1位だったこと、そして宇都宮に駐屯していた陸軍第14師団が中国から本場の餃子の製法を持ち帰ったこと、それだけ。
つまるところ、宇都宮で食べる餃子はみな「宇都宮餃子」なのだ。
ということなので、旧奥州街道のオリオン通りに戻り、その名を冠した「オリオン餃子」という店に入ることにした。
いつか歩くと決めた奥州街道のことを、餃子と一緒に心に焼き付けておこう。

美味しの写真美味し

さあ、出てきた!ビールと餃子、ついでにラーメンも。
ああ沁み渡る……
これまで辿ってきた道、これから歩く道、頭の中をよぎっていく。
この日の「宇都宮餃子」は格別だった。

今宵の宿、温泉でリフレッシュ!の写真今宵の宿、温泉でリフレッシュ!

さあ、温泉に浸かることにしよう。
今宵の宿は、スーパー銭湯に併設されたカプセルホテルにした。
途中に「温泉の日」を入れることで、身体のメンテナンスをするのだ。
宇都宮市街を流れる「田川」をたどり、宿に着いた。
日光街道歩き旅・第3日目が終わる。
古河宿のホテル津賀家さんを出てからここまで、所要13時間、歩行数75,000歩、距離にして70km!歩幅小さくスタスタ歩いてきたせいで、実際の距離よりも長めだ。
熱い湯船と水風呂をなんども行き来すると、しだいに身体が軽くなっていく。
いよいよ明日は杉並木の道。
これまでの距離と時間が、旅のゴールに向かう高揚感をいっそう高めていた。

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