【第102回】みちびと紀行~北国街道を往く(善光寺、新町) みちびと紀行 【第102回】
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9月13日、火曜日、5:00am。
目覚めた場所がホテルの一室であることに、しばらくしてから気づいた。
相当深い眠りだったのだろう、疲労を出し尽くした爽快な気分だ。
起きがけに屋上の大浴場で、ヒノキの露天風呂に全身をゆだねる。
山の稜線が光を帯び、長野盆地も、今まさに目覚めようとしていた。
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7:00am、チェックアウトして、善光寺へと向かう。
北国街道は「善光寺街道」とも呼ばれ、これからがひとつのクライマックスだ。
今まで何度か車で来たことはあっても、信濃追分から歩いてきた距離と時間の分だけ、ここにたどり着いたことの重み深みが増したように思う。
日本の伝統ある祭りが、いくつもの行事を経て本祭にのぞむように。
茶道で抹茶をいただくまでに、様々な作法の様式美を鑑賞するように。
段階のプロセスを経て気分を高め充溢させてこそ、はじめて本当の感動に至ることができるのかもしれない。
昔の旅人もこの門前町を目にして、「ついに、ここへ」と、高揚感を胸に参道を通っていったはずだ。

長野駅から善光寺までは約1.8km。
仕事に向かう人々とすれ違いながら、参道の商店街を歩いていく。
歴史ある街並みの中に、ちらほらと現れるモダンな構えの店。
清々しい風に運ばれてきたコーヒーと焼きたてメロンパンの香りが、どことなく都会的な朝を演出していた。
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江戸時代、ちまたでは、一生に一度善光寺に参拝するだけで極楽浄土が叶うと言われていた。
それほどまでに盛んだった善光寺信仰。
いったい、ここには何があるのか?
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日本最古の仏像、それが善光寺にある。
仏教が日本に伝わったのは、欽明天皇の御代、西暦552年。
百済の聖明王から贈られたこの仏像は、仏典とともに海を渡り、その後西暦642年、皇極天皇の命でこの地に運ばれた。
運んだ人物は、本田善光(よしみつ)卿、彼の名をとって「善光寺」という。
この善光寺のご本尊、「権威の象徴」として戦国時代には「庇護者」を名乗る戦国武将の争奪の的となった。
川中島の戦乱から逃れさせるため、武田信玄が「甲斐善光寺」へと持ち去ってから数十年、この仏像は、数々の武将の盛衰を眺めながら各地を流浪し、最終的に豊臣秀吉によってもとの信濃善光寺へと戻された。
百済から海を渡ったこの仏像も、「旅人」たる宿命を負っていたのだ。
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善光寺は、宗派を問わず、階層を問わず、そして、性別を問わない寺として、古くから独自の存在感を示していた。
多くの寺は、明治初年まで「女人禁制」で、女性の立ち入りが禁止されていた。
けれど善光寺は、そんなことには一切構わず、女性の参拝を積極的に受け入れてきた。
「日本最古の仏像」の権威の前では、後世に決められたしきたりなど、なんの効力も持たなかったのだろう。
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善光寺の本堂へと足を踏み入れる。
内部は、独特のお香と古い木材が醸し出す重厚な香りで満ちていた。
外陣、内陣、内々陣、分かれた仏間の最奥には、「御開山」と呼ばれる本田善光卿の座像、そして隣、金色の帳の向こうに「一光三尊阿弥陀如来」が安置されている。
今年はちょうど、七年に一度の「御開帳」の年に当たっていたが、2ヶ月前に帳は再び閉じられ、御姿を拝む機会を逸してしまった。
ただ、よくよく調べてみれば、「御開帳」で姿を現すご本尊は、鎌倉時代にまったく同じ姿に作られた「前立本尊(まえだちほんぞん)」と呼ばれるもので、本体は、「内厨子」の中に納められているらしい。
百済からやってきた仏像は「絶対秘仏」で、住職さえその姿を見ることができないということだ。
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「お戒壇めぐり」というものがあったので、やってみることにした。
内々陣の右側の階段から地下におりていき、真っ暗な回廊を手探りで進みながら、ご本尊の真下にある「極楽の錠前」と呼ばれる突起物を探り当てるというものだ。
その錠前に触れることができれば、「御本尊と結縁できる」らしい。
(といったことを後で知った。)
僕は元来、説明書きを読む前に実行してしまう癖があり、このときも、よく意味を知らぬまま暗闇に突入してしまった。
なめらかな両側の木壁をなでながら進んでいくと、突然、金属の感触。
と同時に感じた、電流が身体中を走るような衝撃。
視覚を封じられたことによって、全身の感覚器が研ぎ澄まされたのだろうか。
いったい、あれが「結縁」の合図だったのだろうか。
その意味をしばらく考えてみたけれど、頭で考えることはやめにした。
ブルース・リーも、確かそう言っていた。
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善光寺を出て、再び北国街道を歩き出す。
街道は、しばらく県道399号長野豊野線を東進し、県道60号長野荒瀬原線に突き当たった後、北上していく。
北上すればするほど、善光寺から遠ざかるほど、街道に鄙びた風情が増していく。
一度も通ったことがない道なのに、どうしてだろう。
懐かしさがこみ上げてきた。
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
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
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気づけばすでに、「新町(あらまち)宿」に入っていたらしい。
どこが宿場の中心なのかわからぬまま、うねるようにゆるやかな坂道が続いていく。
新町宿は、稲積・徳間・東条の三村がひとつの宿場となり、各村に置かれた問屋場は、月を上・中・下旬に分けて継立てをしていた。
今ひっそりとした道で出会うのは、バイクで通り過ぎていく郵便配達人だけ。
サングラスをかけて独り街道を歩く僕は、見知らぬ他人、英語でいう「ストレンジャー」の語原そのままに、怪しい人に見えたかもしれない。
この「孤独感」は、なかなか心地良い。
年齢を重ねるごとに、そんなふうに思えるようになってきた。
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上り坂が傾斜を増していく。
リンゴ畑の上空では、飛行機雲が次々に生まれていた。
地上の寂しい街道とは裏腹に、続々と飛行機が上空を進んでいく。
こんなに遠くまで来てしまった。
しだいに寂しさを増していく街道を見て、食べ物の不安を覚え始めた。
いったい食べるところはあるだろうか。
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正午になった。
発生中の3つの台風をブロックするように、列島を高気圧が覆い、ギラギラと容赦なく照りつける太陽は、喉をカラカラにした。
必死に店を探していると、やがてドラッグストアとコンビニがオアシスのように現れた。
このささやかな幸福感。
それぞれの場所で食料と水分を調達し、これでひと安心。
食べながら、飲みながら、街道を歩き出す。
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三本松の峠が見えてきた。
まだ少年だった小林一茶は、この場所で、見送りにきた父と別れたという。
この先は、牟礼宿、古間宿、そして、一茶の故郷・柏原宿と続く。
うねりながら続いていく街道。
その風景の中に、ただ独り歩く僕がいた。