【第90回】みちびと紀行~鎌倉街道を往く(多摩丘陵ワンダーランド) みちびと紀行 【第90回】

森の中の古道を歩いていく。
ワクワクしながら足を踏み入れたものの、不思議なタイムトンネルを進んでいくようで、次第に不安になってきた。
「この道の先は異次元の世界だったりして・・・。」
妄想がちらと頭をよぎる。
ほんの5~6分の時間が、随分と長く感じた。
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やっと、道の先が開けた。
向こうで女性が家の入り口を掃いている。
「あらぁ、鎌倉街道を歩いてらっしゃったんですかぁ?」
抑揚のある明るい声にホッとする。
「こんにちは。すごく楽しい道ですね。昔のまんまって感じで。」
と答えると、
「まぁ、めったに人が通らないんで。ツルツル滑りませんでしたか?」
と笑っている。
子ども時代は、この道はどんなふうだったのだろう。
「昔のことはあまりよく知らないんです。実家は横浜で、ここには嫁に来たので。来てみたらあまりにも田舎でびっくりしたんですけど、もう慣れました。一応、家から富士山も見えるんですよ。」
こんな鬱蒼とした森の中から、富士山が眺められるとは意外だ。
「隠れ家的な場所」とは、まさにこのことを言うのだろう。
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不思議な世界の住人に出会ったようだ。
「すぐそばなんですけど、『関屋の切通し』っていう場所もあるので、行ってみてくださいね。」
元気な声で見送られた。
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その関屋の切通しは、歩いて1分ほどの場所にあった。
「此道は布田道にて、幕末に近藤勇やらが通いし道に御座候」
古めかしい文体の説明書きが、江戸時代にタイムスリップさせる。
「布田(ふだ)」というのは東京都調布市にある地名で、「布田道」は、そこから、この先にある「小野路(おのじ)」を結んでいた。
小野路の人びとにとっては江戸への、調布の人びとにとっては東海道への近道だったようだ。
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鎌倉街道を先へと進むと、ぱっと視界が開けて古い街並みが現れた。
ここが、鎌倉街道と大山街道が交差する宿場町、小野路だ。
鎌倉街道は戦国時代に廃れてしまったのに、この町は今もこうして歴史的な景観を遺している。
江戸期に盛んになった大山詣の宿場町だったこと、そして明治以後も、養蚕地から横浜港まで生糸を運ぶ道筋にあったことが幸いしたという。
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小野路宿の3軒の名主の一つ、「油屋」の屋号を持つ小島家は、剣術に熱心で、近藤勇、土方歳三、沖田総司たちが、天然理心流の指南のため、先ほどの関屋の切通しを通って頻繁に訪れたそうだ。
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「小野路宿里山交流館」で少し休憩する。
館内には小野路宿の歴史や民芸品の展示があり、この町の理解が進んだ。

おや、これは?
奥のスペースに、2019年に行われたラグビーワールドカップの展示がある。
町田市はナミビア・チームの「ホスト・タウン」となり、選手たちはここに来て、町田の人々と交流したのだ。
2019年の大会で、ナミビア・チームは、かのオール・ブラックス(ニュージーランド)に対してひたむきにタックルを繰り返し、1トライをもぎ取った。
71対9の大差で敗れたものの、圧倒的な力の差にもひるむことなく前進する彼らの姿は、紳士のスポーツとはどういうものかを教えてくれた。
一方、町田市民の応援もナミビア・チームを相当感激させたらしく、「日本のファンはアメージングであり続けている。弱者にも最高のサポートをしてくれている。」とコメントを残した。
あの世界大会では、世界の一流選手から、競技スポーツ本来の楽しさだけでなく、チームやサポーターへの信頼、勇気、粘り強さなど、精神的な価値を学び、その一方で、日本人の心や文化を海外に伝えることができた。
それは単なる経済指標では表せない、教育的、文化的、そして外交的な財産なのだ。
日本に招致できて、本当に良かった。
僕はその時以来、ラグビー・ファンだ。

野津田(のづた)公園へと歩いていく。
鎌倉街道は、かつてこの公園の中を通っていた。
次から次へと現れる野原の道の風景が、トンボやザリガニを採った子どもの頃の記憶を呼び起こした。
やがて下り坂となった古道の先には鶴見川が流れ、さらにその先には、「七国山(ななくにやま)」が控えていた。
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
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
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時刻は3:40pm。
七国山の道を登っていく。
ちょうど牡丹の咲く季節で、牡丹園の辺りには人々が結構いた。
閉園間近だったので中に入るのはやめ、そのまま里山の風景の中を歩いていく。
菜の花畑が美しかった。
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
やがて「福王寺薬師堂」に出た。
お参りしていこうとお堂に向かうと、今はちょうど12年に一度の秘仏の御開帳をやっているという。
檀家の人だろうか、年配の女性が入り口でてきぱきと靴を入れる袋を渡しながら、「御真言を唱えていってくださいね」と僕に告げる。
「オンコロコロって言うんですよね。」
「そう、その次は、、、」
「センダリマトウギソワカ」とハモって笑い合う。
疫病退散の霊験を持つお薬師様の真言を、このコロナ禍で唱えた人は多いはずだ。
薬師仏は、素朴なお姿をしていた。
木目の肌が、温かみを帯びている。
技巧に長けたものではなかったが、思いを込めて作ったことが伝わってくる。
平安後期、11世紀頃の作だそうだ。
そんな昔から、この地域の人々に大切に守られてきたこのお薬師様。
もたらした霊験のひとつは、代々続く地域の連帯の強さなのかもしれない。
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
薬師堂を出て、池の方向に下っていくと、さらに別世界が待っていた。
ここはいったいどこなのだろう?
外界から遮断された、秘密の世界。
どこか懐かしい。けれどSF的でもある。そんな光景だ。
故大林宣彦監督だったら、この場所を題材に、懐かしくもファンタジーに富んだ映画をとったことだろう。

時刻は4:10pm。
的確な表現が見つからないが、そのときの僕の気持ちに近い言葉は「脱出しなければならない」ということだった。
日が沈む前に、この場所から外に出なければ、現実世界には戻れない。
そんな不思議な気分になっていた。
すでに失った方向感覚は、スマホでGoogle Mapの力を借りて解決。
突破口を見つけて歩き出した。
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鎌倉街道に戻って、ホッと一息つく。
さあ、ここから今日のゴール、小田急線・町田駅をめざしていこう。
と、歩き出したら、前方から自転車で上がってくる西洋人の男性と出会った。
「こんにちは」と日本語で挨拶すると、英語が話せるか聞いてきたので、英会話に切り替えた。
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彼の名前は「メロン」。ニックネームだと思う。
アメリカ人で町田市に11年間住んでいるという。
「米軍基地で働いているのか」と訊いたら、スキンヘッドなのでよく間違えられると笑っていた。
職業は写真家だった。
道を尋ねられたが、この辺りは詳しくなく、僕も「脱出」してきたばかりでようやく道を見つけたところだと告げると、「こっちの道はなんだ?」と訊くので、それから鎌倉街道の話になった。
ほかには、伊豆半島の下田街道の話、英語も教えているという話、コロナ禍に対する違和感、写真の題材のことなど、次々に話題が移っていく。
彼と話していると、日本に対してある一定の距離感を保っているように感じた。
それは、他者の文化に染まることを是とせず、自分の文化をも尊重する健全な態度だ。
日本に11年もいれば、はじめの頃の「文化的な興奮」は落ち着き、日本に対する冷静な観察眼を持てているのだろう。
教えてもらった彼のWEBサイトを見ると、「いかにも日本」という写真は少なく、彼の目でとらえたユニークな世界観が表現されていた。
それはまちがいなく日本の写真なのだけれど、僕の知っている日本ではないような、不思議な世界が写し出されていた。
No matter where you are, you will always be here.
「どこにいても、あなたはいつもここにいる。」
彼のサイトにある言葉は、直訳しただけでは意味が通じない。
けれどそれは、どことなく街道歩きに通じるような気がした。
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多摩丘陵の道が終わった。
ゆるやかな坂道を下っていくと、なつかしい現実世界に帰ってきたようでホッとする。
そのことが僕にとっては発見だった。
通常、人は、あの自然豊かな多摩丘陵の風景を「懐かしい」と言い、それを見てホッとするものだ。
それなのに今、都会の雑踏に戻っていくことに安心感を覚えるなんて。
団地の向こうに傾いていく夕日が、妙に美しく思えた。
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クラスの女の子を話題にしているのか、大声で小突き合う三人組の高校生の後ろを歩いていく。
通りは次第に人混みを増してきた。
6:20pm、町田駅にたどり着き、今日の旅が終わる。
京王線・府中駅からここまで、所要9時間、歩行数44,000歩、距離にして約34kmの歩き旅だった。
小田急線に乗り、非日常から日常へと戻っていく。
それもまたひとつの旅の醍醐味なのだと、心の奥で感じながら。