【第64回】みちびと紀行~下田街道を往く(旅の始まり、下田へ) みちびと紀行 【第64回】
12:50pm、伊豆大島が見えてきた。
紺碧の水平線上に、島影がくっきりと現れる。
片瀬白田〜伊豆稲取間は、列車が沿岸を走る。
もう11月中旬だというのに、まぶしいほどの陽光が車内に射し込み、まるで南国に向かっていくようだ。
東京駅から鈍行で3時間。
あと30分ほどで伊豆急下田駅に到着する。
下田街道
甲州街道の旅を終えて、早くも次の歩き旅の計画を立て始めた僕は、これまでメモしていた「歩きたい街道リスト」の中から下田街道を選んだ。
甲州街道では、歩みを進めるごとに変化する山々の風景を満喫した。
次は海を見たい。
そんなたわいもない理由だ。
このリストに「下田街道」を書き加えたのは、山の辺の道の歩き旅がきっかけだった。
この道に残るヤマトタケルの「大和し美し」の歌碑は、日本の美を追究した川端康成が揮毫した。
そして、その川端が、足繁く通った場所が伊豆だったのだ。
代表作「伊豆の踊り子」を改めて読むと、主人公の書生と旅芸人たちが歩いた下田街道の情景がありありと浮かんでくる。
このみずみずしく描かれた情景を、歩きながら味わってみたい。
こうして、下田街道がリストに加わったというわけだ。
伊豆半島は大きく4つの地域に区分される (出典:じゃらん)
思えば、かつて駿府と呼ばれた静岡市に生まれ育ち、大学から上京した僕にとって、そのどちらにも近い伊豆半島は、気軽に行ける行楽地だった。
いつも決まって訪れるのは、東伊豆、南伊豆、西伊豆ばかり。
特に若さにあふれていた頃はよくここに来て、海沿いの道をTUBEやサザンを流しながらドライブしたものだ。
それが、年齢を重ねると、中伊豆や天城のような「渋い」場所に行きたくなってくるから不思議だ。
石川さゆりの「天城越え」もさぞ心に響くことだろう。
下田街道は、伊豆半島の付け根に当たる三島市の三嶋大社から、半島の中央部、天城峠を越えて、下田港に至る約70kmの道だ。
どの資料を見ても、「起点は三嶋大社」と書かれている。
誰が起点を定めたのか分からないが、僕は敢えて下田から出発して三島大社をめざし北上することにした。
ひとつには、歩くのにその方が都合が良いということがある。
歩いていく方向に太陽があるのはまぶしくてかなわない。
太陽を背に受けて、北に向かって行けば快適に歩けるはずだ。
もうひとつには、三嶋大社の由来を調べていたら、ここに祀られている主祭神は、もともとは黒潮にのってやってきた伊豆大島や三宅島などから成る伊豆諸島の神様で、今の場所に遷座する前は、下田の白浜に宮を構えていたというではないか。
下田から三島へ北上するのが、神の辿ったルートなのだ。
考古学的にもこの道筋は証明されている。
旧石器時代にはすでに、伊豆諸島と伊豆半島の間に海上交通があったらしく、愛鷹山麓・箱根山麓から出土する黒曜石には、長野県産、栃木県産とともに、伊豆七島の神津島産のものが多数発見されているそうだ。
本来の日本人は、「海の道」を自在に使える海洋民族だったのだ。
1:13pm、伊豆急下田駅に着いた。
今日はここに一泊し、明朝、下田街道を歩き始める。
それまでの時間、この下田の町を散策することにした。
まずは駅前の観光協会に行って情報収集だ。
「すみません。下田街道を歩きたいので、関連の情報を探しているんですが、、、。」
「下田街道、、、ですか?」
窓口の女性は一瞬たじろぎながらも、役立ちそうな情報をあちこちから引っ張り出して教えてくれた。
どうやら、そういうことを訊かれたのは初めてだったようで、逆に興味をもたれて話が弾んだ。
「下田街道の起点は、平井製菓がある場所と聞いたんですが、、、。」
「え?そうなんですか。それだったらこのすぐそばですよ。」と指を指す。
「もうお店が繁盛しちゃって生産が追いつかないから休業することもあるんですけど。」
このコロナ禍でも、そんなに流行っている店があるのか。
「『ハリスさんの牛乳あんパン』というのが、食べログのアンケートで上位にランクインしたらしくて。それ以来お客さんが殺到してるんです。」
なにか特別なあんパンなのだろうか。
「あんこに牛乳が練り込んであるんです。条約交渉で下田に滞在していたハリスさんが身体が弱くて、栄養を摂りたいということで牛乳を求めたんですよ。その頃日本には牛乳を飲む習慣なんてないから大騒ぎして、このあたりの和牛から乳を集めて与えたそうです。」
そんな話は初めて聞いた。
タウンゼント・ハリスといえば、いかつい強面の米国人をイメージしていたからだ。
「それが日本における牛乳売買の発祥ということで、玉泉寺には森永乳業さんが建てた『牛乳の碑』っていうのがあるんですよ。」
そのハリスの「牛乳事件」が、大人気のあんパンという形で現在にまで影響を与えているなんて、現代のハリスの一族も苦笑することだろう。
その平井製菓に行ってみると、一枚の貼り紙があった。
「誠に申し訳ございませんが本日は臨時休業させていただきます」
やっぱり大人気みたいだ。
しばらくぶらぶらと町を散策したあと、聞き忘れたことがあったので、再び観光協会に行った。
「すみません。そういえば下田富士ってどれですか?」
今度の質問も、我ながらなかなかマニアックだ。
普通の観光客からは出ない質問だろう。
ところが、それをきいた瞬間、窓口の女性の目がキラリと光った。
彼女はそれ以上にマニアックだったのだ。
「私、伊豆半島ジオパークのジオガイドをしているんです。そういう質問ならお任せください!」と、胸を叩いた。
あとは立て板に水。
下田富士の方角をパパっと説明すると、話が始まった。
「下田には昔から言い伝えがあって、富士山は三姉妹と言われているんです。長女が下田富士、甲斐・駿河の富士山が次女、そして八丈富士が三女です。そしてそれは、この一帯の陸地の成り立ちから言って、その順番通りなんですよ。大昔のことについてどうして知っていたのか不思議ですよね。」
下田富士の話は、ちょうど読み終えた川端康成の小説「伊豆天城」に出てきたのだ。
美しさを讃えられていた富士山に対して、姉の下田富士はごつごつとした岩肌を持つ醜い姿だったので、あいだに天城の山々を屏風のように立てて陰に隠れるように身を低くしていた。
けれど富士山は姉さん思いで、姉の姿を見たいと背伸びを繰り返し、ついに日本一の山になったというのだ。
「伊豆半島って、かつては大きな島で、フィリピン海プレートに乗って南からやってきたんです。60万年前に本州に衝突して半島になったんですよ。」
静岡出身なので、その話は知っていたと告げる。
「あら、ユーラシア・プレートからいらっしゃったんですね。」
「ええ、フィリピン海プレートまではるばるやってきました。」
壮大なやりとりに、顔を見合わせて笑った。
そういえばそうだった。
伊豆半島は、いわばインドのミニチュア版だと聞いたことがある。
インド亜大陸が南洋からやって来て、大陸に衝突してヒマラヤ山脈ができたように、伊豆も本州に衝突したのだった。
伊豆半島の植生が独特だと言われることも、心なしか南国の別世界のように感じられることも、全てはこの南海から漂流してやってきた陸地であることに起因するのかもしれない。
このワンダーランドをこれから縦断するなんて、なんだかいっそうワクワクしてきた。
おっといけない。
話に夢中になっていたら、そろそろ観光施設の閉館時間が迫ってきた。
行きたいところがたくさんあるけれど、全ては無理だ。
「玉泉寺なんかいいんじゃないんですか。ここから歩いて30分ほどですけど、近くに柿崎弁天島というところがあるんですよ。『斜交層理』っていって、ミルフィーユ状の地層が見れますよ。」
よし、そこに決めた!
斜交層理はさておき、玉泉寺に領事館を築いて滞在していたハリスの暮らしぶりに興味がある。
「楽しいお話をありがとうございました。」
「いってらっしゃい。」
下田湾を右手に眺めながら、玉泉寺をめざして早足で歩いていくと、海沿いの町を西日が照らし始めていた。