【第61回】みちびと紀行~甲州街道を往く(台ヶ原~原の茶屋) みちびと紀行 【第61回】
12:20pm、ジャズ喫茶Autumnを出て、再び歩き出す。
今晩の宿には、日暮れまでにたどり着きたい。
この先には宿泊施設があまりなく、僕はようやく、入笠山湿原ユースホステルを探し当て、予約した。
宿側は「コロナ対策」ということで、宿泊者を一日一組に限定している。
つまり今日の宿泊者は僕ひとり。夕食を用意して待ってくれているのだ。
心持ち急ぎ足で進んでいく。
その僕の横を、衆院選の候補者が手を振りながら、車列を組んで通り過ぎていった。
のどかな田舎道が続いていく。
腹が空いてきたが、このあたりに飲食店はない。
運良く見つけたコンビニで、食料を調達した。
立ち寄ったコンビニの横は、「サントリー白州蒸留所」の入口だった。
この奥にある森の中に、何十万というウイスキー樽が、10年、20年と寝かされているのだ。
無色透明の原酒が、ウイスキー樽の中でゆっくり時を刻みながら熟成され、やがて琥珀色になっていく。
なにやら、人の一生のようで、一層深く、味わって飲むべきお酒に思えてくる。
蒸留所に併設されたBARかレストランで、ウイスキーを飲みたかったな。
後ろ髪引かれる思いで、先を急いだ。
教来石宿に入った。
山梨県では、最後の宿場町だ。
静かな山あいの集落で、青空と緑がまぶしい。
宿場町には「御膳水跡」があって、明治天皇のご巡幸の際、ここの湧き水をお誉めになったと伝わっている。
山梨県北西部の白州町は、水が美味しいことで有名だ。
先ほどのサントリー白州蒸留所の隣では「南アルプス天然水」、近くのコカ・コーラ・ボトラーズ・ジャパンの工場では「い・ろ・は・す」を供給している。
つまるところ、同じ白州の水なのだ。
美味しい水が身近にある。これが、世界ではどれほど恵まれたことか。
豊かさや幸福度の指標のひとつに、あっても良さそうに思えた。
「山口関所跡」を通り過ぎる。
信玄が設けた関所で、ここからゆるやかな坂道を下った先は信濃の国・長野県だ。
国境を越えるときの高揚感と一抹の寂しさを、ここでも味わった。
ありがとう、山梨県。
心からそう言いたい。
山梨県と長野県の県境は、この先の釜無川上にある。
旧甲州街道は、国道20号の橋「新国界橋」ではなく、400メートルほど先の「国界橋」を渡るルートになっている。
迷わず国界橋を目指して進んでいくが、なにやら様子がおかしい。
入り口にある工場の敷地のような場所を突っ切っていくと、背丈の高い雑草が生い茂っている。
草をかき分けながら橋に着くと、渡った先の長野県側は、なんとフェンスで封鎖されていた。しかも電流が流れている。
やれやれだ。
電気柵でぶった切られた街道に出会ったのは初めてだ。
撃退された獣のように草をかき分け引き返し、しぶしぶ「新国界橋」を渡って長野県側に入った。
気を取り直して歩いていく。
旧甲州街道と合流し、しばらく行くと、長野県側の最初の宿場町、蔦木宿に入った。
あまりの様子に言葉が出ない。
軒を並べた家々には、「甲州街道 蔦木宿 ●●屋」という、それぞれの屋号が掲げられ、宿場町の形跡はある。
けれど、どの家も戸締まりされて、人影ひとつ見かけない。
かつては、国境近い宿場町として栄え、中馬(ちゅうま)と呼ばれる運送業が盛んだったというが、その繁栄ぶりを想像すると、現在の状況がいっそう寒々しく感じられた。
先ほどから、再び胸さわぎを覚えながら歩いている。
というのも、採石業者の敷地のようなところを、道が続いていくからだ。
ルート上はこの道で合っている。ここは確かに旧甲州街道のはずだ。
そして不安は現実のものとなった。
目の前に、再び電気柵が立ちふさがった。
やれやれだ。二連発。
来た道を引き返し、代わりに国道20号の車道脇を歩いていく。
長い旅をともにしてきたこの街道が、その存在を無視され、ないがしろにされたようで悔しい。
日が暮れ始めた。
暗くなる前に、今晩の宿にたどり着けるだろうかと気持ちが焦る。
あともう少しだ、と思った矢先、甲州街道はまたしても分断された。
街道が続いてゆく先の土地が、フェンスに阻まれている。
あとで調べたら、この土地は、町が事業者に売却してしまったらしい。
まあ、腹を立てても仕方がない。フェンスに沿って迂回する。
いったい、この向こうには何があるのだろう。
のぞいてみたら一面の太陽光パネルだった。
やれやれだ。三連発。
迂回した先には、何ごともなかったかのように、フェンスの前から甲州街道が続いている。
「ここは富士見町 原の茶屋」
標識が、今夜の宿が近いことを告げる。
宿の方角を見ると、夕焼け雲が広がっていた。
5:00pm、入笠山湿原ユースホステルに着いた。
韮崎宿から休憩時間を含めて10時間、54,513歩、歩行距離41.7kmの歩き旅だった。
呼び鈴を鳴らして玄関を入ると、60代後半と思しき男性オーナーが、ほっとしたように迎えてくれた。
「夕食の前に、お風呂いかがですか。沸いていますので。」
ありがたい。その一言で冷えた体が温まる。
湯船に浸かっていたら、だんだん感傷的な気分になってきた。
というのも、この甲州街道の旅は、明日で終わってしまうのだ。
残る宿場町は3つ、金沢宿、上諏訪宿、そして終点の下諏訪宿。
僕はいったいどんな気持ちで旅を終えるのだろう。
「 夕食の準備ができましたよ。」
外から声がかかるまで、ゴール前の禊をするかのように、じっと湯船に身をゆだねていた。