【第54回】みちびと紀行~甲州街道を往く(上野原~大月) みちびと紀行 【第54回】

上野原市役所前から、甲州街道はいっきに坂道を下っていく。
つづら折りになって下る山梨県道30号大月・上野原線を横目に、ハイキングコースとなっている旧道を下りていくと、清らかに流れる鶴川にたどり着く。
橋を渡れば、そこは鶴川宿だ。
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鶴川は、小仏峠、笹子峠に並ぶ甲州街道の難所で、かつてこの川は、甲州街道唯一の「増水時徒渡し(かちわたし)」の場所だった。
川の流れは激しく、旅人が渡るには川越人足の助けが必要だった。
賃銭は、川の水深によって、天保年間の相場で16文から48文まで4区分されていた。
ただ、川の流れ同様、川越人足の気質も荒々しかったようで、歌舞伎役者の市川海老蔵が甲府へ芝居に赴いた際に、100両をゆすられたという逸話が残っている。
以来、特に芸人たちは、この鶴川があるがゆえに、甲州街道を避け、大菩薩峠を越える青梅街道を使ったということだ。

鶴川宿の入り口にある水天宮の大ケヤキを眺めていると、60代とおぼしき男性がやってきて僕に声をかけた。
「甲州街道を歩かれているんですか。」
「ええ、そうなんです。ここ、なんか雰囲気が良いところですねぇ。」
男性は、上野原の観光協会の方で、地元の観光資源をチェックしてまわっているところだった。
「この鶴川は、甲州街道の中でも最も雰囲気がある宿場のひとつなんです。歴史のあるものがまだ残されていて、ちょっと行った先のお宅でも江戸時代のものを保存してらっしゃるんですよ。」
観光協会のお仕事以外でも、甲州街道歩きのツアーガイドをなさっているということだ。
「でも甲州街道は火事が多くて、ここも残念なことに大きな火事があって、、、。」
確かにそれは、ここまでの道のりで見て感じていたことだ。
が、まあ、仕方がない。そういうことも含めて町の歴史なのだ。

「やあ、でも、ほんとうに楽しい道ですよ、この道は。多くの人に歩いてもらいたいですよね。」
「ええ、そうなってくれればうれしいですね。」
なにやら同志に出会ったようだった。
上野原市の区間は、ここに来るまでの道でも、ここから先に行ったところでも、道標や、旧跡の説明板など、案内が気が利いていて助かった。
彼のような方々が、こんな風にまめに気遣ってくださっているのだ。
お礼を言っておくべきだったなあ。
別れた後で気づく、自分の気の利かなさよ。


鶴川宿から先は、中央自動車道に寄り沿うように、てくてく進んでいく。
ガードの遮音壁の向こうは、高速の世界だ。
時刻は11:45am、急に腹が空いてきた。
しまったぞ。上野原では酒まんを買うのに夢中で、食料を仕入れるのを忘れてしまった!
と、いまさら気づく。
次の宿場町に望みをかけるしかない。
大椚(おおくぬぎ)の一里塚のベンチに座り、とりあえず水分補給して、あめ玉をなめながら歩き続ける。

中央自動車道をまたぐ橋を越えて、野田尻(のたじり)宿に入った。
どこから見ても、田舎の昭和の町並み。
食料調達は、もう見るからに絶望的だ。


空腹をこらえながら進んでいくと、ある考えがひらめいた。
「中央自動車道のサービスエリアに入れるかも。」
ちょうどこのあたりに談合坂サービスエリアがあり、そこで働く人たちのための、なにかしら通用口があるはずだ。
注意深く見ながら歩いていると、路地の向こうにトンネルが見えた。
「ここだ!」と、動物的な直感を信じて中に入っていくと、闇の中に「高速バス停留所」の案内が浮かんでいる。
その階段を上ると、なんと、談合坂サービスエリア内の地上に出ることができた。
「千と千尋の神隠し」ではないけれど、トンネルの向こうはまさに「不思議の町」だった。
めかしこんで賑やかに談笑する若者たちは、これから高原リゾートにでも行くのだろうか。
スターバックスの緑色のマーメイドマークを見て、トンネルを隔てた町とのギャップに頭がくらくらした。
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結局、近代的なサービスエリアの食堂で、ボリューム満点の昼食をとった。
本来であれば「これで満足」となるはずが、こんな都会と変わらぬ味気ない場所で食事をしてしまったことに、後悔することしきりだった。
弁当でも買って、どこか懐かしい風景の中で頬ばったほうが良かったな。

ふたたびトンネルをくぐって、元の世界に戻る。
ああ、なんと落ち着く風景だろう。深呼吸する。
けれど、それは、僕のようなふらりとやってくる旅人の感じ方で、ここの住民からしたら、退屈でたまらないのかもしれない。
彼らもときどきは、「ちょっとスタバに行ってくるわ」ってな感じで、トンネルをくぐっていくのだろうか。
別世界を入ったり来たりする生活も楽しいだろうな、とニヤニヤしながら歩いていく。

野田尻宿を出ると、上り坂が続いていく。

見晴らしの良い道を進んでいくと、犬目宿に入った。


江戸末期、ここには「犬目宿兵助」という義民がいたということだ。
以下は、その人物について、生誕地とされる場所の案内板に書かれていた文章だ。
天保7(1836)年、犬目宿で旅籠「水田屋」を営んでいた兵助は、下和田村(大月市)の武七とともに、天保の大飢饉と商人の米買い占めで苦しむ村人を救うため、百姓一揆を起こす。
兵助は一揆に先立ち、幕府の厳しい処分を覚悟して、妻「りん」と離縁し、生後間もない娘「たき」が水田屋を継げるように書き置きを残している。
一揆は、兵助らの意図に反して暴徒化し、甲斐一国を巻き込む激しい打ちこわしに発展した。世に名高い天保の甲州一揆(甲州騒動)だ。
兵助は絶望し、一揆を離れて逃亡の旅に出る。
その後の兵助の足取りは定かではない。
、、、と書かれていたものの、調べたところ、彼は逮捕を逃れて放浪した後に、10年ほどを経てこの村に戻り、明治維新の前年、1867年に「永尋者(ながたずねもの)」として生涯を終えたということだ。
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
「犬目の兵助の墓」と書かれた道しるべがあったので行ってみると、「奈良家累代之墓」と刻まれた墓の隣に、「甲州郡内騒動頭取 犬目村兵助之碑」があった。
自らの人生を隠して逃亡しなければならなかった人物、そして、その彼と義憤を共有して、かくまい続けた村人たち。
その心境を思いながら、墓前に手を合わせた。
振り返ると、お墓の前には、富士山の美しい輪郭が現れていた。
この素晴らしい景色の前にお墓を定めたのも、村人たちの思いやりに満ちたはなむけだったのかもしれない。

犬目から見える富士山は旅人には有名だったようで、葛飾北斎も「富嶽三十六景」の一つに、「甲州犬目峠」として描いている。
その「北斎」が描きとった場所であろうと言われているところが、少し先に行った宝勝寺の境内にあった。
本当に版画絵のように見える。浮き世離れした美しさだ。
北斎が夢中でデッサンしている姿が目に浮かぶ。
富士山を眺めて佇む僕の後ろでは、女性3人が、嫁姑問題の井戸端会議中だった。
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美しい道が続いていく。
目に映るものすべてを写真におさめたくなる。
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
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上野原市から大月市に入り、長い下り坂が終わると、その先は下鳥沢宿だった。
ここで久しぶりに国道20号線と旧甲州街道が重なる。
車通りも随分と減って、続く上鳥沢宿とともに、宿場町の面影を残していた。
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日が傾いてきた。心持ち急ぎ足で進んでいく。
旧甲州街道は、桂川の手前でいったん国道20号と分かれ、右手に進んでいくと、国の名勝「猿橋」の入り口に着いた。
水面から30mの高さで桂川の断崖どうしをつなぐ、30mの長さの橋を渡っていく。
この橋はかつて、周防の錦帯橋、木曽の桟と並んで日本三大奇橋のひとつと呼ばれ、橋脚を使わず、両側から張り出した四層のはね木で橋を支えている。
日本の土木技術の水準の高さには、それなりの長い歴史の積み重ねがあるのだ。
構造をよく見るためにわきの階段から下りていくと、積み木細工のように芸術的な構造が見えた。
橋の上を、青いジャージを着た下校中の中学生たちが渡っていく。
橋の下は周遊路になっていて、まさに落ちようとする夕日が渓谷を紅く染めていた。
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気温がだいぶ下がってきた。
暗くなる前に今日のゴール、大月駅にたどり着こうと、ギアを上げて進んでいく。
バス待ちをしていた先ほどの中学生たちが、僕を見て「こんにちは」と挨拶する。
見ず知らずの旅人をけげんに思うことなく、声を掛けてくれたことが、僕の心を温めた。
きっと沿道の声援を受けるマラソンランナーも、こんな気持ちになるに違いない。
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猿橋宿から駒橋宿まで1.5km、駒橋宿から大月宿まで1.1km、この宿場間の距離の短さは、このあたりの甲州街道の特徴だ。
発電所の送水管を越え、中央線の踏切を渡ったら、もう駒橋宿だ。

すでに夕日が落ちて、町が暗くなり始めている。
夕闇に浮かぶ町は、どうしてこんなに哀愁を帯びているのだろう。
時刻は5:30pm、今日のゴール、大月宿に着いた。
JR相模湖駅からここまで57,144歩、歩行距離40.6km、所要11時間の歩き旅。
一本の道が次々に変化する、街道歩きならではの楽しさが味わえる区間だった。
東京に向かう列車は、このあとまだ何本もある。
さあ、一杯ひっかけようか。
ひとり祝杯をあげるため、夕闇の町で、飲み屋を探してぶらついた。