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【第52回】みちびと紀行~甲州街道を往く(小仏~相模湖) みちびと紀行 【第52回】

小仏峠まで静かな山道が続く写真小仏峠まで静かな山道が続く

山の奥へと分け入るように、旧甲州街道を歩いていく。
道路の起点、日本橋から発し、武蔵野の多くの区間を交通の激しい国道20号として西進してきた甲州街道が、今やこうして山道となって、さらに西を目指して続いていることがなんとも楽しい。
人生はやはり、道にたとえるのがふさわしい。
にぎやかな道も、寂しい道も、すべて一本道だ。

下山者とすれ違う写真下山者とすれ違う

何人か、ご年配の方々とすれ違う。その多くが男性、そしてひとりだ。
僕は、高校時代の山岳部の習慣で、登山道では「こんにちは」と自然に言葉が出てくる。
笑顔で「がんばって」と言って通り過ぎる人もいれば、黙してひたすら下山する人もいる。
人それぞれ、自分の道を歩いている。

ベンチの男性とお話しする写真ベンチの男性とお話しする

勾配がきつくなっていく。
難度でいえば、「鈴鹿峠以上、箱根峠未満」と言ったところか。
呼吸が荒くなってきてから10分くらい経つと、小仏峠にたどり着いた。
時刻は11:00am、お弁当にはまだ早いのか、意外に静かで拍子抜けする。
ここから道がいくつかに分かれている。
近くの案内板には、高尾山や景信山への登山道の情報はあるけれど、「旧甲州街道」を示すルートが見あたらない。
ひとりベンチに腰掛けている60代前半とおぼしき男性に聞いてみる。
「甲州街道ってどっちの方角なんでしょうね。」
「あ、それだったらあっちの道をいったところに道しるべ見かけたよ。」
聞けば、毎週このあたりの山々に登りにきているらしい。
「え?ひょっとして甲州街道をずっと歩いてるの?日本橋から?えぇー!」
ひとつの道を長い距離歩いていくことが、新鮮に映ったようだ。
「良い旅をしてるね。」
その人はそう言って、意気揚々と陣馬山に向かっていった。

小仏峠の石仏の写真小仏峠の石仏

ぽつんと残されて、ふもとの無人販売で仕入れた梅干しをほおばる。
クエン酸の旨味を感じながらベンチに腰掛けていたら、登ってきた方角からガヤガヤとにぎやかな話し声が聞こえてきた。
5人のインドネシア人の若者たちだった。
「疲れたでしょう」と声をかけると、「疲れましたぁ!」っと白い歯を見せて笑う。
日本にはもう長く暮らしているようで、流暢な日本語を話す。
コロナ禍の閉塞した日常から逃れて、今日は仲間と楽しく山登りだ。
高尾山への道を尋ねられたので、彼らを先ほどの案内板につれていき、ルートを指し示す。
すると、「富士山見えますか?」と真剣な眼差しで尋ねてくる。
そうか。それを楽しみに登ってきたんだな。日本に富士山があってよかった。
「今日はきっと見えるよ。」
それを聞くやいなや、「ひゃっほおー!」と歓声を上げて、小仏城山の方角に飛び跳ねるように向かっていった。
富士山見えるといいな。

待ちに待った県境越えの写真待ちに待った県境越え、「ようこそ相模原市へ」と言ってるようだった。
どことなく秋の気配の写真どことなく秋の気配

小仏峠は、かつての武蔵国と相模国の国境、そして、東京都と神奈川県の県境だ。
相模原市が立てた「甲州道中」の道しるべが、「ようこそ」と僕を誘う。
ここから先、いざ県境を越え、静かな道を下っていく。
紅葉にはまだ早かったけれど、夏が過ぎた柔らかな香りが漂う道が続いていった。

この標識に従い、相模湖駅方面への写真この標識に従い、相模湖駅方面へ

舗装された道に下りてきた。
ここからは「相模湖駅」の方向へと道しるべに従って進んでいく。
5分ほど歩くと、「照手姫の水鏡 七ッ淵まで550m」と書かれた看板と、照手姫のものがたりの説明板があった。
東海道を歩いたときに、あちこちで照手姫やその恋人の小栗判官の足跡の碑を見かけてはいたけれど、その物語のあらすじを知ったのは今回が初めてだった。
ちょっと寄り道してその七ッ淵まで行ってみることにした。

照手姫の七ツ淵への写真照手姫の七ツ淵へ

照手姫と小栗判官の物語は、室町時代の中期に成立したらしく、以降、浄瑠璃や歌舞伎の格好の題材になったらしい。
ストーリーは、「君の名は」の原型みたいなもので、愛し合う恋人が運命のいたずらで離ればなれになってしまい、探し求めて放浪するものの、会えそうで会えないことの連続。
そして最後に二人は出会い、幸せのうちに生涯を閉じるというハッピーエンドだ。
照手姫は、この小仏峠のふもとの「美女谷」の生まれで、川の上流の七ッ淵で、美しい黒髪を洗っていたと言い伝えられている。

ティモテのCMを思い出した写真ティモテのCMを思い出した
七ツ淵はワイルドな場所だった写真七ツ淵はワイルドな場所だった

七ッ淵のある場所に着いた。
入り口の大きな木の幹が、かがんで黒髪を洗う女性の姿に彫られている。
七ッ淵までの山道は狭くて少し危険だ。
そばに生えている竹の枝をつかみながら慎重に進んでいくと、段々になった小さな滝釜が現れた。
あたりは野趣に富んでいて、黒髪を洗うたおやかな女性を想像するのは難しい。
まあ、恋人の小栗判官を探し求めて、相模国の実家をひとり出て、旅先の美濃国大垣で下女となりながらも根気よく恋人を探し求めた人なので、強くて活発な女性だったのだろう。

参照:照手姫と小栗判官物語前編 https://www.youtube.com/watch?v=TbBkbHoNxcA

参照:照手姫と小栗判官物語中編 https://www.youtube.com/watch?v=OxdrWd7vG1s

参照:照手姫と小栗判官物語後編 https://www.youtube.com/watch?v=SF-joUWPF2E&t=20s

線路脇の気持ちの良い道を歩く写真線路脇の気持ちの良い道を歩く
相模湖まで1kmだの写真相模湖まで1kmだ

ふたたび甲州街道に戻って、道を下っていく。
中央本線の線路脇を歩いていくと、国道20号に久しぶりに合流した。
道路標識には、相模湖まで1kmとある。
今日のゴールまであとわずかだ。

観光施設「小原の郷」の写真観光施設「小原の郷」、ここに駐車して町を観光すると良い

坂道を下りて小原宿(おばらじゅく)に入った。
江戸からは9番目の宿場町だ。
まず見えてきたのは、大きな古民家風の観光施設「小原の郷」だった。
ここには、小原宿に残された古文書や、その他周辺の埋蔵品などが展示されている。
きれいなトイレとベンチがあったので、ここで少し休憩した。

小原宿本陣の写真小原宿本陣へ入る

小原宿本陣は、そこから目と鼻の先にあった。
門をくぐると、まぶしい緑の向こうに何とも味のある旧家が現れた。
江戸後期の入母屋造りの建物で、神奈川県にあった26の本陣のうち、これが唯一現存しているものらしい。
これまで様々な本陣を見てきたけれど、中でも一番気に入った。
本陣然としたいかめしさがなく、明るく開放的な雰囲気があって、お殿様と一緒に村衆が酒宴でもしていそうだ。

開放的な本陣の写真開放的な本陣

上段の間の写真上段の間

70代とおぼしき係の男性が迎えてくれて、さりげなく説明をしてくれる。
この小原宿は「片継ぎの宿場」といって、甲府方面に向かう時のみに使われたとのこと。
小原宿からの荷物は、与瀬宿を通過し、その先の吉野宿まで継ぎ立てが行われた。
逆に、江戸方面に向かう人や荷物は、隣の与瀬宿を使い、この小原宿を通り越して小仏宿まで継ぎ立てたとのことだ。
大名が宿泊する時に使う「上段の間」もしっかりと残されていて、襖絵には四季の風物が描かれている。
「でも、実際はあんまり殿様は泊まらなかったみたいだね。大名は一泊目には八王子に泊まって、二泊目はずっと先の上野原で泊まったって言われてるね。」
「え、そうなんですか?」
僕もここまで歩いてきたけれど、一泊目を八王子でとは、相当な強行軍だ。
「大名は実際にはお金なかったみたいだからね。宿泊代もばかにならないから、急いだようだよ。」
「じゃあ、あんまりこの町にはお金が落ちなかったんですかね。」
「まあ、団子くらいは食ったんじゃないかね。」
そんなふうに話をしていると、江戸時代の厳格な参勤交代のイメージも崩れてきて、ずいぶんと人間臭い世間話みたいに思えてきた。

茶の間の写真茶の間
二階の養蚕所の写真二階の養蚕所
記念のエラースタンプの写真記念のエラースタンプ

その後、ひとりで茶の間やお勝手、二階の養蚕所をぐるりとまわる。
お礼を言って去ろうとすると、
「これも記念に持ってってくださいよ。」
と、小原宿本陣の記念スタンプ台紙に、今日の日付のハンコを押してくれている。
「あ、しまった!しまったなぁ。逆さに押しちゃったよ。やり直しやり直し。」
と、新しい台紙を取り出す手を押しとどめて、
「いえ、その逆さのやつがいいです。」とありがたくいただいた。
それは、なんとなく人の温もりがあって、「エラー切手」のような価値あるものに思えた。

再びのどかな道になった写真再びのどかな道になった
旧甲州街道の写真この階段の道が旧甲州街道だ
与瀬下宿の標識の写真与瀬下宿の標識

時刻は1:00pm、小原宿を出ると甲州街道は再び国道20号と分かれ、のどかな道になった。
坂を下っていくと、眼下に相模湖が見える。
JR相模湖駅は、もうすぐそこだ。

日が少し傾きかけてきた写真日が少し傾きかけてきた

今日のゴールに、予想よりもずいぶん早く着いてしまった。
せっかくなので、湖畔近くのレストランで遅い昼食をとってのんびりすることにした。
JR高尾駅からここまで5時間、29,600歩、歩行距離に換算して22.7kmの歩き旅だった。
今日は小仏峠という難所越えに加えて、高尾山の滝行場や照手姫の七ッ淵にも寄り道したので、距離というよりも高低差で、体力はそれなりに消耗した。
ただ、下山時は特に注意しながら足運びしたので、脚にガタはきていない。
さあ、そろそろ東京に戻って銭湯にでも入ることにしよう。
日が少し傾き始めた湖を眺めながら、JR相模湖駅へと向かった。

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