【第36回】みちびと紀行 ~中山道を往く(浦和宿) みちびと紀行 【第36回】
焼米坂から1kmほど、中山道を北上すると、鬱蒼とした森にある神社に着いた。
延喜式内に列する古社、「調(つき)神社」だ。
どれだけ古いかというと、社記によれば第9代開化天皇の御代に創始されたというから、紀元前からあることになる。
天照大神が宿る八咫の鏡を伊勢神宮に祭った倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、後にこの地を訪れ、伊勢神宮への貢ぎ物(調)を関東一円から集めるために、ここに倉を作った。
倭姫命が足を運んだ場所は、いずれも清らかな水に接したところだったから、ここにもそのような水辺があったに違いない。
さらに、なぜこの地が選ばれたのかといえば、それは都まで続く街道があったこと、そしてここが、産物の集積地として適していたからなのだろう。
その形跡は、この調神社がある地名から推測できる。
調神社の現在地は、さいたま市浦和区岸町。
「浦和」の地名の由来は「浦曲(うらわ)」で、大河の流路の屈曲しているところを意味するらしい。
そして、「岸町」というからには、その岸辺にあったのだろう。
この場所は、水運を利用して貢ぎ物を集めるにはうってつけの場所だったのだ。
この調神社にはいくつものユニークな特徴がある。
まずそのひとつに、鳥居がない。
社伝によれば、境内にある倉に調物(ちょうもつ)を納める際の妨げとなったので、鳥居を取り払ったとのことだ。
そして、さらに特徴的なことは、ここでは狛犬ではなく「狛ウサギ」が入り口にあるということだ。
入り口だけでなく、境内のあちこちにウサギをかたどったものがある。
お参りしようと手水舎にいったら、そこにもウサギがいる。
なぜそうなのか。調べてみたら、「調(つき)」が「月(つき)」に通じるので、「月の使者=ウサギ」だということらしい。
ずいぶん古いわりに、なんとも自由な神社だ。
参拝客はといえば、今は2月下旬で「シーズン」ではないらしく、僕を含めて数人といったところだ。
参拝しようと社殿に向かうと、背筋をしゃんとしたご高齢の紳士がお参りしていた。
1分、いや2分、もっと長かっただろうか、ずっと静かに手を合わせている。
真心を込めてお参りするとは、こういうことを言うのか、なんとなくそばに近寄りがたくて、遠巻きでその一部始終を見ていた。
これもひとつの「様式美」だ。
そして、様式美というものは、時の流れに急かされない。
見ていて清々しい気持ちになった。
僕も、あのようにお参りできる人間になろう。
調神社から浦和の繁華街までは、歩いてほんの5分ほどだった。
調神社のほかに、平安時代に空海が創建したと伝わる玉蔵院も繁華街のエリアにあって、境内の緑のおかげか、街並みに落ち着きと安らぎがある。
浦和の人口が急激に増えるのは関東大震災以降のことで、このあたりは関東ローム層という盤石な地盤で被害が少なく、東京や横浜からの避難移住者を多く受け入れて発展したらしい。
それ以降も人が定着したわけだから、やはり住みやすい町なのだ。
時刻は1:00pm、さて、そろそろ昼ご飯としようか。
浦和だったらお店の選択肢も豊富だろうと思いきや、それがなかなか「これぞ」と気持ちが動くところが見つからない。
「和食が食べたい」ということだけははっきりしていて、町の中をぶらぶらと歩いてみるけれど、チェーン店が幅を利かせていて、個人店はコロナの影響なのか開いているところが見当たらない。
「チェーン店でもいいかな」とだんだん気持ちが折れてくるけれど、すでにそういうところは知り尽くしているし、せっかくの「非日常」を楽しんでいるわけなので、どこか新しいお店を発見したい。
浦和うなこちゃん
(出典:さいたま観光国際協会HP)
さっきから、和食のお店といえば、うなぎ屋ばかり見かける。
今では想像がつかないが、江戸時代、浦和近郊は沼地が多く、川魚が多く生息していたらしい。
行楽客に沼地でとったうなぎを出したところ、味が良いことで評判となり、中山道を通る旅人たちも、この地の名物としてうなぎを堪能したそうだ。
それにしても、うなぎは高い。
このデフレ状態の世の中で、うなぎだけは我が道を行っている。
それでも根気よく探していたら、玉蔵院の近くに、衝撃の看板を掲げた店を発見した。
「本日うな丼20食限定、1500円」
1000円台だったら手が出せる!ダッシュで店の中に駆け込んだ。
運良く今日の限定20人の中に選ばれて、今か今かと、うなぎを待ちかまえる。
最後に食べたのはいつの頃だっただろうか。
メニューの注釈に、「幻の四万十川鰻です」とあって、期待が最高潮に達している。
やがて「うなぎ一筋50年」という店主が、香ばしい香りを放ちながらうな丼を運んできた。
さあ、食べるぞ、食べるぞ!
タレのかかったアツアツの白米と一緒に、慎重にうなぎを口に運び入れると、ジュッワーと、濃厚な味わいが口いっぱいに広がる。
僕は本来、食べるのが早いのだけれど、さきほどの調神社の参拝客のことを思い起こして、はた目には「様式美」だと思われるくらい丁寧に箸を運んで、味わって食べた。
湯飲みのお茶を飲み終えたら、ひとつのセレモニーを終えた気分だ。
大満足でお店を出て、さっそく中山道を歩いていこうと思った矢先、ふと、「このまま行くのは物足りない」と思えてきた。
調神社で丁寧にお参りして、昼食を丁寧にいただいたら、食後のひとときも丁寧に時間を過ごさなければもったいない。
どこか良さそうなお店で、お茶かコーヒーをゆっくりと飲んで、余韻に浸ろう。
そんな気分になって、またぶらぶらと浦和の町を歩きまわる。
頭に見えないアンテナを立てて、きょろきょろと歩いていたら、中山道に面したお茶屋さんの路地奥に、喫茶店があるのを見つけた。
僕の直感が、「ここにせよ」と指令を出している。
奥に入ると、田舎の親戚の家にきたような空間が広がっていた。
古民家に洋風のデッキをつけて、それが不思議とマッチしている。
メニューにはコーヒーもあったけれど、ここはやはり日本茶をいただこう。
日本茶と言っても、種類がこんなにあるのか。
玉露、抹茶、煎茶、芽茶、茎茶、荒茶、ぐり茶、ほうじ茶、、、。
迷いに迷って、「濃く、独特の味わい」と説明のあった芽茶を、和菓子とのセットでいただくことにした。
お店の人が、丁寧に飲み方を教えてくれる。
デッキに座って、陽だまりの中で、ゆっくりと緑茶をいただく。
自然界が発するメッセージを、五感を総動員して受け取っているようで、心が満たされてきた。
これまでの街道歩きは、どうしてあんなにせかせかとしていたのだろう。
たまにはこうして、ゆったりと時間をかけて歩くのもいいものだ。
そんな丁寧な時間の過ごし方を、浦和宿で発見した。
時刻は2:30pm、さてそろそろ歩き出そう。
繁華街の道を、次の大宮宿を目指して歩いていった。