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【第32回】みちびと紀行 ~中山道を往く(巣鴨地蔵通り) みちびと紀行 【第32回】

巣鴨地蔵通商店街入り口の写真商店街入り口、赤い色が巣鴨らしい

JR巣鴨駅から100mほど先、車通りの激しい国道17号から左の道に入っていく。
中山道は、ここから「巣鴨地蔵通り」という名前で、全ルート中で最もにぎやかな通りとなる。
時刻はちょうど正午。
日本橋からここまで、口にしたのは神田明神の甘酒だけ。さすがにお腹が空いてきた。
この先の商店街は、右を見ても左を見ても、美味いものだらけ。
この数ある選択肢の中で、さて何を食べようか。
おっと、その前に、江戸時代の旅人がしたであろう、真性寺のお地蔵様参りをすることにしよう。

お地蔵様の写真お地蔵様は笠をかぶっている。旅装束かな?

地蔵通りの入り口、真性寺には、「江戸六地蔵」のひとつがある。
270cmの大きなお地蔵様で、江戸時代中期に、これと同じ大きさのものが、江戸の出入り口となる街道の6ヶ所に配置された。
そのうちの一つは明治期の廃仏毀釈で撤去されたものの、この真性寺のほかに4体、東海道の品川寺、奥州街道の東禅寺、甲州街道の太宗寺、水戸街道の霊厳寺に今でもいらっしゃる。
宝永3年(1706年)、江戸深川の地蔵坊正元が江戸六地蔵作りを発願し、江戸市中から広くスポンサーを集め、一体ずつお地蔵様を製作し、街道の入り口に配置していった。
そして1720年、ようやく最後の一体が完成する。
治世でいえば、徳川綱吉、家宣、家継、吉宗と4代にわたる時代。
その間に、富士山の噴火や、江戸市中の火事があっても続けられた、息の長いプロジェクトだったのだ。
(参照:Wikipedia 「江戸六地蔵」 )

江戸時代に「巣鴨の地蔵」といえば、高岩寺のとげぬき地蔵ではなく、この真性寺の六地蔵を指していた。
とげぬき地蔵は、明治24年に、上野駅周辺の区画整備によって、下谷の屏風坂から移転してきた。
とげぬき地蔵が誕生する由来は1713年のことだから、真性寺のお地蔵様とはほぼ同い年。
さながら、よそから来た一匹狼に、地位を奪われたかのようだ。
そのとげぬき地蔵も、境内でジャブジャブ、ゴシゴシされている新人の「洗い観音」に人気を奪われているのだけれど。
いつの時代も、遠くから拝むお顔よりは、「ご利益」がわかりやすくて身近に感じる存在の方が、庶民ウケするのだろう。

巣鴨地蔵通商店街の写真おばあちゃんが7割くらいか?若者も結構いる

巣鴨地蔵通りは、「おばあちゃんの原宿」と言われている。
原宿の路上で「竹の子族」の若者たちが踊りまくっていた時代にそう言われだしたから、1980年代からのことだ。
確かにおばあちゃんは多いけれど、若者たちもけっこう歩いている。
どこか縁日の懐かしさをたたえている街の雰囲気を、若者が再評価しているのか。
あるいは、商店街のスイーツに、ミツバチのように誘われてきたのか。
塩大福、あんみつ、団子、わらびもち…。
定番の和菓子に加えて、メロンパン、スイートポテト、タピオカなどの新顔も加わって、甘い誘惑に満ちあふれている。
あれこれ眺めて歩いていたら、無性に食べたいものが目に入ってきた。
アジフライ定食だ。
大きくてサクサクしたフライと、真っ白でつややかなご飯をイメージして、一気に食欲がそそられた。
けれど残念、行列ができている。
僕は、待つことが嫌いなのだ。先へ行こう。
「あれは、美味そうだったなあ」と思い出しつつ歩いていたら、400mほど先で、同じ店名、同じアジフライ定食に出くわした。
すぐに入れそうだ。よし!
「ときわ食堂」の店内に入った。

ときわ食堂 庚申塚店の写真ときわ食堂 庚申塚店

席に案内されると、てきぱきと高速で動きまわっている若者がお茶を運んできた。
ミックスフライ定食を注文し、料理を待ちながら、中の人々を観察する。
お昼時だからなのか、美味しくて有名だからなのか、たぶんその両方なのだろう。
作業着姿のグループがいるかと思いきや、観光客とおぼしきカップルもいる。
中には、ひとりビール瓶を前に、できあがっているご年配もいる。
この雑然とした光景が、江戸時代の町を描写した浮世絵のようだ。
こうした多様性を、オーケストラの指揮者のようにみごとにコントロールしている先ほどの若い店員。
「すみません」「すみませ~ん」「注文!」と、あちこちから呼びかけられても、いらつくことなくあざやかにさばいて、実にたのもしい。
きっと僕の注文したミックスフライ定食も、正しい順番でアツアツのものが、目の前のテーブルに運ばれることだろう。
待つことにストレスを感じないのは、こういった安心感があるからなのだ。
しばらく眺めていたら、大学時代に下宿近くの弁当屋でバイトしていたことを思い出した。
当時は周辺に5店くらいあっただろうか、地元のチェーン店として繁盛していて、あのときの僕もこんな風に動きまわっていた。
大学4年の就職活動中に、店長からスカウトされたけれど、海外で働きたかったので断ってしまった。
部活のように楽しかった弁当屋は、その後急成長して、今はオリジン弁当になっている。

ミックスフライ定食の写真外はサクサク、中はホクホク

期待通りに料理が運ばれてきた。
湯気がたっているフライとご飯を、ホガホガしながら口に運ぶ。
美味!
あっというまに完食して、ふと通りを見ると、行列ができはじめている。
待たせるのは申し訳ない。
せわしないが店を出ることにした。
「さあ、まだまだ山場はこれからだぞ。頑張れよ。」
お勘定のときに、若い店員に心の中で声をかける。
「ありがとうございました!」
元気な声で押し出され、再び街道を歩き始めた。

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