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【第23回】みちびと紀行 ~山の辺の道を往く(三輪の国津神) みちびと紀行 【第23回】

金谷集落の路地の写真金谷集落の路地を歩いていく

山の辺の道は、海石榴市(つばいち)から先、しばらく民家の間を縫うように路地となって続いていく。
金屋という名前の集落に入って、しばらく進むと、コンクリートの収蔵庫が見えてきた。
中に、2mほどの石板に浮き彫りされた2体の仏様がいらっしゃるのが、格子戸越しに見える。
右が釈迦如来、左が弥勒如来で、平安時代に作られたと言われている。
もとは、近くにある平等寺にあったのを、明治期の廃仏毀釈で行き場を失い、村人がこの場所に移したという。

金谷の石仏の写真金谷の石仏、美しい言葉に触れる

格子戸には布が括り付けられていて、「みろく様、いつも守って頂きありがとうございます。耳の病気も充分よくなりました。不自由な方々の耳を守ってください。」と書いてある。
日本屈指の神社、大神(おおみわ)神社は目と鼻の先なのに、昔から村人は、神も仏も分けへだてなく敬い、今でも信心を続けている。
そのことが尊く思えて、おぼろげにしか表情が分からない石仏に、静かに手を合わせた。

仲睦まじく歩いて行く写真仲睦まじく歩いて行く

平等寺までの小道は、広葉樹の甘い香りに満ちていた。
道の先を、老夫婦とおぼしき人たちが、互いにいたわるように仲睦まじく歩いている。
そのムードを壊したくなくて、彼らの歩みに追いついてしまっても、「すみません」も言えずにうろうろと後ろについていく。
ついに、「あら、ごめんなさい」と気づかれて、追い越していく。
理想の夫婦像だったな。

大神神社の写真大神神社にて

平等寺を過ぎると、ほどなく大神神社が見えてきた。
時刻はちょうど10:00am。桜井駅を9:00amに出発したので、1時間ほどでたどり着いたことになる。
コロナ禍でも、いや、それだからこそなのか、参拝客が絶えることはなく、礼服を着た七五三参りの家族連れが、あちこちで写真を撮っている。
境内で、白い蛇が住んでいるといわれる「巳の神杉」という巨木を眺めていたら、突然、雅楽の響きが聞こえてきて、7人の白装束の神官が、石段を登ってやってきて、僕の前を過ぎていった。

大神神社は、日本最古の神社と言われていて、本殿はなく、この三輪山全体が御神体だ。
主祭神はというと、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)で、ここからが僕にとっては理解が難しいのだけれど、その大物主は、大己貴神(おおなむちのかみ)、別名大国主命(おおくにぬしのみこと)の和魂(にぎたま)、つまり霊魂の一種だというのだ。
頭が混乱するのを抑えて、ざっくり言うと、「大物主大神≒大己貴神=大国主命」という理解で正しいのだろう。

日本神話の世界観は三層構造になっていて、天上にある高天原(たかまがはら)、地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)、そして黄泉の国である根堅洲国(ねのかたすくに)に分かれている。
そして、葦原中国の国づくりをしたのが、大国主命(大己貴神)と少彦名命(すくなひこなのみこと)。
古事記によれば、この国づくりの途中で、少彦名命が、海の彼方にあるとされる異世界、常世の国に去ってしまい、相棒を失った大国主命は、これからどうやって国づくりをしていったらいいものかと途方に暮れていた。
すると、海を照らしてやってくる神がいて、「私はあなたの霊魂であり、私を、大和の国の東の山に丁重に祀ってくれれば、国づくりに協力しよう」と言われたとのこと。
それが、この三輪山の大物主大神だ。
こうして、大国主命は、国をつくる総仕上げをする。
葦原中国と呼ばれる国を、、、。

ん?葦原中国?アシ?、、、と、僕の思考がそこでしばらく止まった。
なるほど!そうだったのか!
山の辺の道の起点、海石榴市(つばいち)では、奈良県にはかつて巨大な湖があったことを知った。(参照:【第22回】みちびと紀行
そして、水生植物の葦(アシ・ヨシ)が生えているところといえば、河川か湖沼だ。
そうか、だから葦原中国とは、この地域のことなんだ。たぶんそうだ。

日本神話が難しいのは、その物語があった場所・地理がよくわからないということが大きな要因だと思う。
僕はこれまで、大国主命→出雲の国という連想にとらわれていたから、大国主命がつくって、のちに高天原の神の子孫に譲った葦原中国は、宍道湖のほとりの地域のことだと思っていた。
ただ、そうしたら、なぜ遠くの奈良県の大和地方の政権や大神神社に結びつくのかな?と、そのつながりが理解できずにいた。
いま一度、この大和地方を中心に神話の解釈を進めていけば、わりとすんなりと、古事記や日本書紀の中に、答えにつながる符号が見つかるのかもしれない。
「葦原中国」とズバリ書いてあるし。
もしかしたら、根堅洲国(ねのかたすくに)は、和歌山県にあったのかもしれない。
なぜなら、根→木→木の国→紀の国だし、熊野は黄泉がえりの聖地って言うし、、、。
想像がどんどん膨らんでいく。

「神話に書かれていることは合理的ではない」と、まるで相手にしない人もいるけれど、ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイアの発掘に成功した、ドイツ人のシュリーマンも、きっと同じような多くの人を見てきたのかもしれない。

大神神社の主祭神、大物主神をさらに調べていたら、神武天皇の奥さんになる媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)のお父さんだということがわかった。
つまり、高天原の神の系譜(天津神)と、葦原中国の神の系譜(国津神)は、この結婚によって結ばれるということになる。

神武天皇の系譜(出典:wikipedia)の写真
神武天皇の系譜(出典:wikipedia)

長浜浩明氏の「日本の誕生〜皇室と日本人のルーツ」という本には、さらに興味が湧くことが書かれていた。
実は、この三輪山は、日本列島を貫く中央構造線の断層帯にあり、砂鉄が採れる山で、この地域の人々は、製鉄技術に長けていた。
九州の日向(ひむか)の国にいた、のちの神武天皇となる神日本磐余彦(かむやまといわれびこ)たちは、この製鉄の国の力を得るために東征を始め、戦いに勝利したのちに、この大和地方の一族と結婚することで、平和裡にこの地域に同化していったというのだ。
実際に、三輪山は、鉄の原料となる磁鉄鉱の微粒子を多く含む、斑れい岩で形成されていて、三輪山の周囲には、「金屋」「穴師」など、鉱業に関連する地名が残されている。
さらに、神武天皇の妻となった媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)は、製鉄の際の送風装置の「たたら」と、製鉄原料の褐鉄鋼(かつてっこう)を意味する「いすず」を名前の中に含んでいる。

中央構造帯(出典:国土地理院)の写真中央構造帯(出典:国土地理院)

ちなみに、日本列島の中央構造線上には、名だたる大きな神社が集中しているらしい。
西から、九州の幣立神社、四国の剣山、淡路島の伊奘諾神宮、この大神神宮、石上神宮、伊勢神宮、豊川稲荷、秋葉山本宮秋葉神社、諏訪大社、香取神宮、そして鹿島神宮。
これらが皆、中央構造線上にあるということを知って、面白いミステリー小説を見つけたような気分になった。

この道をずっと辿っていけば、さらに多くの謎と、それを解き明かすヒントに出会うかもしれない。
そんなワクワク感を抱えながら、まるで子どもが宝物探しをするように、山の辺の道を歩いていった。

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