【第21回】みちびと紀行 ~柳生街道を往く(異世界からの帰還) みちびと紀行 【第21回】
日が短い季節、そして、山道を歩く場合は、よくよく気をつけなければならない。
円成寺から先の道のりで、僕は、そのことを十分過ぎるほど知ることになる。
円成寺を午後3時過ぎに出発して、奈良市街地までの残り12kmを歩こうと決めたのは、僕の楽天的な性格と、冒険心と、慢心だった。
晩秋の陽の傾きの速さは想像以上で、歩いているうちに、みるみる日が傾いていく。
こうなると時間との勝負だ。
柳生街道は鬱蒼とした森の中に入り、薄暗い山道が、この先ずっと続いているような不安が襲ってきた。
暗くなる前に森を出なければ、、、。
早足で進んでいくと、思いのほか早く視界が開け、現れた集落を見てほっとひと息ついた。
この集落がどこまでも続きますように、と思っていたら、あっさりと期待は裏切られ、今度はもっと深い森の中めがけて道が続いていった。
やがて、「地獄谷石窟仏」「首切り地蔵」と、おだやかではない道標があって、あたかも肝試しのようになってきた。
ここから先、道は二手に分かれていたけれど、地獄谷へ向かう道は、昨年の台風の影響なのか、崩れて通行不可になっていた。
地獄谷には、石窟に、1.4メートルの盧舎那仏、薬師如来、十一面観音が刻まれているらしく、ここが柳生街道中でもひとつの見どころとなっているようだ。
遠回りすれば行けないこともなかったけれど、「また次回にします」とあっさり失礼して通り過ぎることにした。
しばらく進むと、森の中に開けている場所に休憩所が見えてきて、「首切り地蔵」が佇んでいた。
首の部分がばっさりと切られていて、なんとも痛々しい。
剣豪の荒木又右衛門が試し斬りをしたと伝えられているけれど、そうだとしたら、相当に良識のない奴だ。
言い伝えというものは、それが史実であるかはともかく、地元の人がその人物をどのように捉えたかということについての参考になる。
この村の人びとは、荒木又右衛門という剣豪を、やんちゃで粗暴な人物だと思っていたのだろうか。
柳生宗矩や柳生三厳の門人だったと言われているけれど、「鍵屋の辻の決闘」という「日本三大仇討ち」なるものの一つに数え上げられていることで有名になってしまった人なので、お地蔵様の首を斬るほどの荒々しいイメージなのかな?
柳生の「平和の剣」を伝える立場の又右衛門からすると、仇討への参加は不本意だったのかもしれない。
お地蔵様に一礼し、「では先を急ぎますので」と、その場を立ち去った。
ここから先は、春日山原始林の南端を通る道となり、自然が豊かな楽しいトレッキングルートとなる。ただし、それが昼間であればの話だけれど。
夜が迫っている夕刻のトレッキングは、むきだしの自然の脅威をひしひしと感じて、気ばかり焦るし、危険なこともあるだろうから、オススメしない。
- 春日山原始林ルート
https://narashikanko.or.jp/wp-content/themes/nara-portal/pdf/pamphlet_pdf/kasuga_yagyu.pdf
道の脇に巨木が倒れている先を進むと、やがて渓流の対岸の岩の上部に磨崖仏が現れた。
「朝日観音」と呼ばれる鎌倉時代に彫られたものだ。
軽く一礼して先を急ぐと、今度はさらに高い崖の上に、どうやって彫ったのだろうか、またしても磨崖仏が現れた。
こちらは「夕日観音」といって、朝日観音と同じ作者によるものだ。
春日山は、神が宿る山、神奈備山(かむなびやま)として古来から信仰されていて、殺生が禁止されていたので、このように原生林が今も残っているし、奈良時代からは僧の修行の場とされてきたようで、岩に彫られた仏像も数多く残されているらしい。
「夕日を受けると神々しさが増す」と説明書きがあるけれど、とっくに夕日が落ちてしまって、おどろおどろしさの方が増している。
あたりには、なにやら野生動物の鳴き声があちこちで始まって、うす気味悪い。
僕の足どりは、もうとっくに駆け足になっている。
ずいぶんと時間が経ったように思えたけれど、夕日観音から10分ほどで、人家が見えてきた。
過酷な登山中に山小屋を見つけるとホッとするように、人の温もりを感じて安堵した。
夕日が沈んだ後の路地や、床屋の三色ポールさえもが美しく感じて、よっぽど感動したのだろうか、なぜか写真の枚数が多い。
ここまで来ればひと安心。
あとは、てくてくマップに従って、春日大社と興福寺を経由して、ゴールの近鉄奈良駅へはもうすぐだ。
「余裕、よゆう!」とかましていたら、道は空也上人旧跡のところで突然曲がって、春日大社の深い森の中へと続いていく。
ぽつんぽつんと、火が灯った石灯籠が幻想的で、何やら異世界に迷い込んだような不安な気持ちが増してきた。
早くこの異世界から逃れたい!
さっきまでの余裕は吹っ飛び、駆け足で急いでいたら、何やら動く物体がやってきた。
鹿だ!
「驚かせるなよ」と写真をパチリ。
すると、他の個体も続々と僕をめがけて集まりだした。
もう見なかったことにして、完全無視を決め込み、ずんずんと歩き去った。
人馴れした鹿でよかったけれど、これが野生そのものの鹿だったら串刺しにされていたかもしれない。
春日大社の参道の砂利道をざっくざっくと進んでいくと、やがて遠くに「一の鳥居」が見えてきた。
あたかも異世界から現実世界に戻る境界のように、その鳥居は車のヘッドライトを浴びて僕を迎えていた。
鳥居をくぐり、くるりと向き直って春日大社の方を向いて一礼。
ようやく人間界に戻ってきた。
長い一日だったけれど、不思議なほど疲労感はない。
近鉄奈良駅に向かう途中で、冒険をやり遂げたような満足感が込み上げてきた。
反省点は多々あれど、おかげで良い勉強になった。
しみじみと今日の道のりを思い返していたら、一挙に空腹感が襲ってきた。
今日は朝食をとっただけで、そのあと胃袋に入れたのは水のみ。
「そういえば、柿をとって食べたくなるほど空腹だったんだよな、、、。」
前方を見ると、「柿の葉寿司」の看板が煌々と輝いている。
まずはそれを買って食べて、その後どこかでビールを飲もうじゃないか。
午前中の剣豪気取りが、すっかり巷のサラリーマンに変わっていった。