【第16回】みちびと紀行 東海道を往く~シーズン1を終えて みちびと紀行 【第16回】
みちびと紀行、第10回から第15回まで連載した「東海道を往く」は、2020年の晩夏、9月9日、10日の1泊2日の歩き旅の記録だ。
旅のきっかけは、第10回に記したとおり、次のリクエストがあったからだった。
「日本橋を七つ立ちしたら、どこまで行けるのかやって欲しい」と。
その「どこまで行けるのか」という部分は実にクセもので、それは僕自身の能力やこだわりや「意地」のようなことまでも含まれているものだから、必然、この歩き旅は、自分自身に問いかける旅、「自分は今、どうしたいのか?何を求めているのか?」と、対話しながら歩く旅となった。
そもそものリクエストは、「江戸時代の旅人と同じ旅をして欲しい」という要望だと解釈したけれど、僕はこのチャレンジを16年前にもやっていたので、「16年前の自分を超える」というテーマも一緒に背負うことになった。
どうせなら、一度も歩いたことのない道を歩くほうが、冒険心をくすぐることはまちがいない。
けれど、以前歩いた道を再び歩くことは、決して退屈なことではない。
むしろ、同じ道を歩くたびに新しい出会いや発見があって、街道歩き旅の奥深さを感じるのはこんな時だ。
それはおそらく、街道歩きは、どこかの観光スポットを見に行く旅行ではなく、たどり着くまでの過程を味わう旅、道の途中を楽しむ旅、まさに「道中」だからだ。
同じルートを辿っていても、出会いや発見は、出会う人やものごと、春夏秋冬の季節によっても違うし、東から西へ行くのか、西から東へ行くのか、によっても変わってくる。
そして、僕が今回旅したように、自身の年齢によっても感じ方が相当変わってくる。
旅人は、街道の胸を借りて「ぶつかり稽古」するように、道を歩くことによって思いを巡らせ、その感じ方から自分自身を確かめていくのだ。
さて、今回の東海道歩きの記録をまとめると、以下の通りとなる。
- 1日目、日本橋発4:00am、戸塚宿着4:25pm、所要時間12時間25分、歩行距離41km
- 2日目、戸塚宿発5:52am、小田原宿着5:46pm、所要時間11時間54分、歩行距離41.7km
「江戸の旅人は、1日に10里(約39km)歩いた」と言われていて、日本橋を午前4時に出た旅人の第1泊目は戸塚で、第2泊目は小田原だったということも、今回のチャレンジで、だいたい確認できた。
特に2泊目はどうしても小田原に宿をとることが必然だったことも想像がついた。
なぜなら、この後、小田原の先に控えているのは箱根の山越えと関所で、それに備えて体を休め、関所越えの準備をする必要があっただろうから。
けれども僕は、江戸時代の旅人は、本当にこんな大変な旅をしていたのか、にわかには納得できなかった。
現代人の僕よりも江戸時代の人たちの方が日常生活で身体を使っていたとはいえ、僕もそれなりにトレーニングをしていて、ヤワな身体ではないわけだし、装備や靴においても断然有利なはずなのに、それでもなお、この長距離を歩くのはしんどいと感じたからだ。
また、僕の好きな、「逝きし世の面影」(渡辺京二著)という幕末の日本を西洋人たちがどのように捉えたか、その観点の記録をまとめた本の中に、ブラックという西洋人が、東海道を歩く日本人のことを次のように記していたのを知っていたから。
そんな疑問を解消してくれる最適な本を見つけた。
「歩く江戸の旅人たち」(谷釜尋徳著)という本だ。
この本では、残された江戸期の紀行文や旅人の日記を総合的に検証して、江戸の旅人が実際にどのように歩き、旅をしていたのか、その実態をあぶりだしている。
そして、39編にもなる旅日記から、以下の結論を導き出した。
- 1日平均の歩行距離は、約34.1km。
- 1日の歩行距離が平均10里(約39km)に達している旅日記は39編中わずか1編のみ。
- 庶民男性の平均歩行距離は、1日約34.9km、女性は1日約28.6km。
- 1日に60km以上の距離を歩いたケースは全体のわずか1%で、極めて稀。
特に注目した箇所は、漆原村(福島県西会津町)の須藤万次郎が元治2年(1865年)に伊勢参りをした際に、同行者との取り決めを記した『伊勢詣同行定』という文献に、以下の項目が書き記されていたことだ。
ここから想像するのは、「東海道を歩いた人は、1日に10里(約39km)のペースで歩いた」という通説は、あながち間違ってはいないものの、それは「歩いたとしても最長で約39km程度にとどめていた」という意味に近く、実は結構無理して歩いたんだろうということだ。
僕の街道歩きの経験からいえば、1日に20kmくらいまでは、歩き通せる人は多いけれど、20kmを超える距離となると、相当しんどくなってきて、疲労も痛みも感じやすくなってくる。
当然、個人差はあるのだけれど、、、。
街道歩きの楽しみ方は様々あるけれど、最初のうちは、あくまでも「散歩」のつもりで、街道を歩いてみることを、僕はオススメしたい。
今回のチャレンジで、1日40km歩いたことは、確かにそうやって旅した人を理解するには最適なことだったと思うし、単純に面白かった。
けれど、それが僕自身の最適な歩行ペースだったか?と考えると、それは違う。
僕は明らかに無理していた。
歩いていると、脳の中がすっきりと片付いて行くような気分になる。
リズミカルな運動をすると、「セロトニン」という幸福感につながるホルモンが出てくるそうで、これに関係しているのかもしれない。
けれど、身体的にキツイ歩行の場合は、「つらい」「苦しい」という負の感情の占める部分が勝ってしまうことになる。
これを乗り越えると、「達成感」という満足感が得られるし、そのあとの「ビールが美味い」というご褒美にありつけることにもなって、それはそれで良い体験なのだけれど、、、。
最初のうちは、自分の最適な歩行ペースを見つけることをまずやってみてはどうだろうか。
とにかく、気持ちを楽にして歩くことが、自分にとって最も心地よいペースを作り出すことにつながるので、時間を気にせずに、ぶらぶらと散歩気分でいくのがよいと思う。
「孤独のグルメ」の原作者の久住昌之さんの著書に、「野武士、西へ ~二年間の散歩」というものがある。
中山道の奈良井宿で、同じ街道歩きの旅人に勧められて、僕もさっそく読んでみた。
久住さんは、東京の神保町を出発して、西へ西へと向かい、2年間、継ぎ足し式(前回の歩き旅終了地点まで行って、そこから再び歩き始めることを繰り返す方式)で、大阪まで「散歩」した。
久住さんいわく「大雑把でいい、野武士だもの」ということで、旧街道沿いに歩くことには特にこだわらず、また、いついつまでに大阪に着かなければならないという明確な目標も持たなかったようで、伸び伸びと歩き旅をされている。
その伸び伸びとした素直な気持ちが選んだルートは、結果的に旧東海道だったのだけれど。
肩の力が抜けている分、自分に正直に向き合っている。
素敵な旅行記だ。
そういう気軽な街道歩きの旅をするには、旧東海道はもってこいの道だ。
東海道沿いには、一部の地域を除いて、宿泊施設が多くあり、交通機関も整備されているので、今日一日の歩き旅を切り上げるのには、ほとんど支障がない。
飲食店やトイレを探すのもラク。
東西を貫く道なので、太陽が昇る方向、沈む方向が見分けやすいし、ランドマークや標識にも事欠かないため、道に迷う恐れが少ない。
そして、昔から日本の最も重要な街道だったので、歴史的エピソードに事欠かない。
特に、その土地の歴史に触れながら歩くことに興味がある人には、最近では大手の旅行会社や、地域での歩き旅の企画ツアーがあるので、そちらに参加するのも楽しいだろう。
中には「歩き旅応援舎」というところがあって、東京から京都をめざして、同じガイドさんが月に一回、一緒に旧東海道を歩いてくれる、歩き旅企画がある。
比較的少人数で、適度な歩行ペースを保ちながら、街道沿いの歴史や当時の旅人の様子について、ストンと腹落ちするように説明してくれるので、昔ここを歩いた旅人の追体験がきっとできるはずだ。
https://arukitabi.biz/
この時節柄、今回の歩き旅でも、「コロナ対策」には気を遣った。
人とすれ違う際には、マスクをきちんとはめることを徹底したし、手を使った時には手洗いを欠かさなかった。
けれども、結論から言うと、この歩き旅では「三密」の状況は皆無だった。
移動手段は「歩行」で、屋外で風に吹かれて一人黙々と歩いている状況だったから。
こんなシンプルなことで旅の気分に浸れるのだから、この時節柄、ぜひオススメしたい旅のカタチであることは間違いない。
東海道は何度か歩いているけれど、いつの日か、東京から京都、あるいは京都から東京まで、何日も時間をかけて一気に歩いてみたい。
昔の人は、江戸・京都間を12泊13日で歩いたと言われている。
けれど、そういうことにはお構いなしに、自分の心の赴くままに、僕のペースで歩いてみたい。
長い長い散歩のつもりで、一筋の道を辿ってゆく。
これは、なかなかしゃれていて、ダンディな行為なんじゃないかな。
、、、と、Googleマップを眺めながら、ひとりニヤニヤしている。