【第2回】みちびと紀行~北国街道を往く(小諸) みちびと紀行 【第2回】
「自分が彼と同じ頃、果たして、そこまで真摯に人生と向き合っていただろうか」と、僕は思った。
目の前にいる三十歳の彼は、人生の折り返し地点を過ぎた僕には、恥じ入るくらい大人びて見えた。
富岡隼人さんは、中棚荘の先代当主、富岡正樹さんの三男だ。
2010年、二十歳の時に、大学を休学してベトナム中部の都市フエに住み始め、その後5年間、現地のベトナム人に日本語を教える教師として暮らした。
そして、2015年、帰国して小諸に里帰りし、御父上のワイナリーの新事業を継承することを決意。
折しも、開校したばかりの千曲川ワインアカデミーに参加し、ワインの栽培・醸造、そしてワイナリーの運営について学んだ。
同年にはベトナム人の奥様と結婚し、12月に奥様を日本に呼び寄せた。
富岡さんの作るワイン、そして、奥様の作るベトナム料理。
日越の「マリアージュ」を、ご自身のワイナリーで実現している。
僕は、隼人さんが、どのような思いでこの故郷を出て、またどのような思いで再びこの小諸に戻ってきたのか。
そのことについて聞いてみたかった。
「ベトナムへは、とりあえず軽い気持ちで行ってみようかと思ったんです。」
僕は、人生には大きく分けて二通りの歩み方があると思っている。
ひとつは、まず人生の「設計図」を作り、それに従って、コツコツと必要なピースを埋めながら、人生の目標に近づけていくパターン。
もうひとつは、とりあえず目の前に面白そうな道を発見し、あとは自分に正直に、心の中の方位磁針に従って、その針が指し示す方向に素直に進んでいく。そして、気付いてみたら、なりたい自分になっていた、というパターンだ。
どちらの人生が良いかなんて僕にはわからない。おそらく、人生最後の場面で「良き人生哉」と笑って終えられたら、ベストな人生なのだろう。
隼人さんの人生は、明らかに後者のパターンだ。
「何となく大学に行っていて、将来の展望が見えていなかった。そんな時、父の知り合いから、ベトナムで、日本語の教師を探しているということを知ったんです。人のために何かしたいな、という思いもありました。」
しかし、ここから先の言葉に、僕は隼人さんの生真面目さを思わずにはいられなかった。
「任期の1年半が経つ頃に、『ボランティアをやって楽しかった』で終わるのはどうかと思ったんです。何というか、やり切った感じがしなかった。」
ボランティアという言葉には、一種の曖昧さがある。アマチュアであることが許される響きも、残念ながらある。しかし、例えボランティアであっても、いや、ボランティアだからこそ、自分自身の心に甘えがないか厳しく問い、自分の能力をもっと磨いて、さらに役に立ちたい、と思うこともある。自分自身が基準だからだ。
その思いが彼に芽生えた。
「『徹底的にやりたいので、もう一度日本語教師をやらせてください』ってお願いしたんです。」
その後さらに3年間、彼はフエで日本語教師を続けることになった。
「大学で学ぶ以上のことを実践で経験させていただけたのかも知れませんね。子供から大人まで、幅広い年代の人とお付き合いできました。クラスを持たせていただいて、この生徒たちの能力を上げるも下げるも自分次第だし、つまらない授業だと、明らかに生徒の顔に出るし、テキスト通りじゃ収まらないことだらけで、アドリブもうまくなりました。」
彼が22歳から25歳に到る間の出来事だ。
ベトナムという異国にいたことで、何か苦労はなかったのか。
「ホームシックは全くなかったですね。本当に楽しかった。以前の僕は、どこか神経質で真面目だったので、ベトナム人のおおらかさ、大雑把さが気に障ることもあった。でもだんだん僕も彼らみたいになって…。肩肘を張らずに済みました。」
隼人さんは、2015年に小諸に戻る。
この2015年に、隼人さんの人生を転換させることが、いくつも重なった。
「ひとつは、ベトナムでの外国人用の滞在ビザが下りなくなってしまったんです。」
この年、中国との南シナ海の領有権を巡る外交問題が遠因となって、ベトナム政府は外国人の滞在を厳しく規制するようになったのだ。
「そして、僕は小諸に戻ってくるのですが、ちょうどその頃、千曲川のワインアカデミーが開校したんです。ワイナリーの事業を僕に継いでもらえたらと父も言ってくれたし、昔バックホーで土を耕す父に負ぶわれていた記憶が鮮明にあったので、自然にワイン造りに心が向かいました。」
それ以降、彼は中棚荘のワイナリー事業を引き継いで、ワインの栽培・醸造、そしてワイナリーの経営者として、様々なチャレンジを続けている。
「大学生の頃までは、小諸の良さが分からなかったんです。でも今は違う。地元の人からは『ここはソバとかイモしかとれないけど、ワイン本当にやるの?』って言われるんですが、僕から見たら、ここはワイン造りに最適な場所。ブドウはカビに弱いので湿度があるところはダメなんです。でもここは、雨が少なくて風が湿気を飛ばしてくれる。あまりにも雨が少ないから、ここにある溜池まで、60㎞離れた湖から水を引いているくらいなんです。僕にはこの土地の価値が分かるんです。」
彼の瞳が自信と熱気を帯びてきた。
「ここは夜景が素晴らしいから、オーベルジュとかグランピングもできるかなって。」
それは素晴らしいアイデアじゃないか!
僕もだんだんと興奮してくる。
ところで、話を聞いているそばで、ちょろちょろと活発な赤ちゃんが「パパ、パパ」と、あどけない声をかけている。
「息子の名前はケイシって言うんです。『繫』げるに、ライオンの『獅』で『繫獅(ケイシ)』です。この子が1歳で、もう一人3歳の娘がいるんです。彼女の名前は『結葡(ユイホ)』です。『結』ぶに、ブドウの『葡』です。」
二人の子供の名前に、繋ぐ、結ぶという思いを託している。
「中島みゆきの『糸』が好きなんです。娘はヨコ糸。ブドウのつるが横に拡がっていくように、人と人をつなぐ人物になって欲しい。
そして、息子はタテ糸。過去から現在、そして未来へ歴史が繋がっていくように、次の世代に繋いでいってほしい。2人でヨコ糸とタテ糸を紡いで、みんなを助けていってほしい。」
子供たちに「結び、繋ぐ」という思いを込めたことについて、もう少し聞いてみた。
「ワイン事業をやると決めた時から、次の世代につなげていかなきゃと思うようになりました。ワインは一代では終わらないし、いつか子供たちがここから離れて行ったとしても、ここにはワイン畑が広がっていて、『ここがあるから、いつでも帰っておいで』と言いたいんです。」
僕はもう一度、目の前の青年を見つめた。
自身の役割を悟った人物は、やはり大きく見える。
静かに、決意に満ちていた。
会話が終わって、清々しい気持ちで、ワイナリーでベトナム料理の昼食をいただいた。これは確かにワインと合う。
抜けるような青空の下、360度のパノラマを眺めながら、贅沢で、でもどこか懐かしい時間が過ぎて行く。
このワイナリーの名前は、Geo Hills Winery(ジオヒルズ・ワイナリー)。 Geo はラテン語では「大地」、ベトナム語では「風」を意味する。
草原の匂いのする涼やかな風を受けながら、僕は、一つの家族が寄り添ってこの丘の上に樹木のように根を張り、ここから世界へ、そして未来に繋がっていく幾筋もの糸をイメージした。
ジオヒルズワイナリー:URL http://giohills.jp/