しのだひろえの歩っとタイム Vol.83
心と体に余裕があるって大事だね~山手線一周ウォーク6~
東京駅から歩き始めて、次は恵比寿・渋谷というところまで来た。時間にすれば4時間半以上歩いているから、そろそろ気力も体力もダウンしそうなところだ。体がちょいキツイ、そんな山手線一周の恵比寿・渋谷編である。
恵比寿の急坂
常々、JR恵比寿駅には疑問を持っている。なぜこんなに西口と東口で高低差があるのか。片方は階段をのぼり、一方は階段をくだるという構造にしなければいけないような場所になぜ作ったのか、と。さらに山手線の内側と外側でも高低差があり、歩く場所によってまったく街の趣きが違うし、東京が意外と坂の街だと思い知らされる。
さて、目黒から恵比寿駅への道はなだらかなくだり坂で駅に近くなるほど急坂となる。急坂の道沿いにもオシャレな店が立ち並ぶのは、さすが恵比寿。佇まいからすると個人店だが個性というか、こだわりがあるのが外装からも良く分かる。いきつけの一軒も見つけたいものだな…なんて考えているうちに恵比寿駅に到着した。
いつまで続く渋谷の開発
目黒から恵比寿までは、勢いに任せて坂をくだってきたが、正直足どりはちょいと遅め重めにはなってきている。
恵比寿から渋谷までは平たんな道で、歩くのは楽ちんだ。普段からよく歩く道だが、ひとりで歩くのと誰かと歩くのと、目的があるのとないのと、山の手線一周というまだまだこの先があるという気持ちで歩くのとでは、何かが違う。楽ちんなのだが、ゴールはここじゃないという気持ちがピリッと気を引き締めてくれるのだろうか。でもここはサービスタイム、のんびり歩きだ。
渋谷駅に近づくにつれて、みるみる街の景色が変わっていく。恵比寿から渋谷の間は意外と閑静で人もそう多くないのだが、見える景色も人の流れもハッキリと大きく変わってくる。
なによりこの開発ぶりだ。
渋谷の開発については折にふれ紹介してきたが、JR渋谷駅のホーム改修工事も終わり更に勢いづいたようで、久しぶりの渋谷の街の姿はまた大きく変わっていた。JR駅周辺を歩いているだけでは分からないが、埼京線ホームから最も近い新南口改札周辺の変わり様といったらもう別の駅だ。南改札だって、ちょっと前は昭和を感じるやや古めかしさの残る佇まいで他改札の活気に取り残されているように感じていたが、なんのなんの。導線が大きく変わり人の流れも車の流れもてこ入れされたようだ。
渋谷の革新は、まだまだ続く。中高年はついて行けるのか!?どんどんガタイも存在感も大きくなる渋谷駅を見ながら思うのである。
体も心もリフレッシュすることで続けていける
渋谷のようなメジャーな駅は、小さな目標になる。渋谷までは頑張ろうという気にさせてくれる。しかし、ずっと歩き続けているからちょいとした疲れを体にも気力にも感じるのも事実だ。
そこで渋谷駅の人ごみの中でストレッチをして体をスッキリさせると、気持ちまでスッキリする。はぁ~ストレッチってこんなに体を軽くしてくれるんだと実感、有難みがわかるというもの。いかに体も心もリフレッシュするか気分転換するかが、長く歩くキモになってくるのだね。ここまで休憩をしたりランチでは好きなものを食べてはいるが、それでもやっぱり足は疲れるんだ。なんといっても、東京駅から4時間以上歩き続けているのだから。
東京駅からさまざまな街を見てきたから、渋谷は刺激的で未来都市にでも来たような、アミューズメントパークにきたようなに感じる。この未来都市には人が多く、それゆえにこの人の波をかき分けて歩くと思うと力がいるし気が萎えそうになる。普段はまだ感じないが、人流をかき分けて歩くのってすごく体力を使うんだ。
ストレッチで気分転換して次に向かうは原宿だ。明治神宮が待っていてくれる!さわやかな緑の中を歩ける!きっときっと・・あそこまでいけば、何かが待っていると思うと楽しみだ。
ちょっとしたことで気力がゆらぐ
普段はなんということもなく乗り越えられていたものが、体と心の余裕がない時には乗り越えられない、ということはある。目の前で起こることへの耐性が変わるとでもいえるかもしれない。長く歩き続けていると、体と心に余裕がある時とない時の変化をよく感じる。
日々の生活でも、体や心に余裕のない時とある時では、同じ出来事であっても耐性が変わるし、捉え方が変わる。満腹時と空腹時でも自分や他人への考え方や捉え方や受け取り方は変わるし、本当に簡単に捉え方なんて変わるものだ。
心の状態を整えるというのはそう簡単ではなく、その瞬間で変化するものだが、体の状態は見えない心よりもいくぶんか扱いやすい。見える分扱いやすい。
そう考えると、まず体から整えること。体をいい状態に保つ・・とはつまり体力がある状態ということになるのかもしれないが、日々の中で体をケアしておくことは、心の余裕にもつながり、きっとあらゆることへの耐性や捉え方や考え方に良い影響を与えるものなのだろう。