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猫ちゃん
しのだひろえの歩っとタイム Vol.55

過去から学び今より一歩先の未来をつくっていく~区役所アート・江東区編~

東京23区の区役所アートから区の魅力を発信する区役所アートめぐりも14区目。今回は隅田川と荒川に囲まれた区、江東区を歩いて行こう。

江東区の区役所アート

江東区という名前。江戸の東にあると書いて江東区・・ではなく、隅田川の東に位置することからその名がついたと言われている。他にも辰巳区、東区、永代区などの候補があったようで、辰巳は東京メトロ有楽町線の駅でもある辰巳駅として、永代も隅田川にかかる永代橋など、今もその名前が江東区に残っている。

江東区の区役所アートの写真

さて、この江東区の区役所アートが「希い(ねがい)」という母子像である。

江東区の区役所アートの写真2

母子像には、「母が子を慈しみ子育て、幸せで平和な日日であることを願うものであり、人と人が愛しあい、国と国とが平和で結ばれていますよう祈るものであります。(原文まま)」とある。昭和20年(1945年)の東京大空襲により、東京のほとんどの区が壊滅的な状態になったが、この江東区も例外でない。平和への願いがこの「希い(ねがい)」には込められているのである。

東京大空襲だけではない。その前の関東大震災でも江東区は大きな被害を受け街の様子が一変したという。東京の他の区も同じくだが、ここ江東区もどうにもならない歴史の中で立ち上がり生き抜いてきた区である。その力強さはこの区役所アートにも街のところどころにも感じることができる。

江戸時代からある埋立地、だからこそ。

江東区と聞くと、豊洲市場や東京有明アリーナ、高層マンションが立ち並ぶ地域であり、埋め立てによってできた街というイメージがある。埋め立てで広がる土地に、人が集まりショッピングセンターができファミリー層が住むようになった街といった印象だ。しかしそもそも江東区のほとんどが江戸時代の埋立地であり、開拓された土地である。江戸の当時もきっと新開拓された街としてファミリーや地方から上京した若者たちが多くここに移り住んだのだろう。

その中には江戸以降に活躍した有名人もおり、例えば「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴の生まれは深川だし、伊能忠敬が江戸に上京して住まいを構えたのも深川である。

空気が入れ替わる新鮮な街

江東区の中でも隅田川のすぐにある深川の歴史や様子を良く知れるのが、深川江戸資料館である。両国にある江戸東京博物館同様、江戸時代のまち並みを再現してあり音響や照明まで凝った設えは、まるで江戸時代にタイムスリップしたような気分になれる。

深川江戸資料館の写真
深川江戸資料館の写真2
深川江戸資料館の写真3

屋根の上の猫ちゃんまで再現。たまに鳴き声が響く。この感じ、いいなぁ~。

再現性はもとより、ちょいちょい笑えるようなユニークな設えがされているのは深川ならではかも。実際、深川資料館通りにはユニークなお店がならんでいるし、私が足を運んだ時には「かかしコンクール」なるものまで開催されていたのだ!

かかしコンクールの写真
かかしコンクールの写真2

近くで見るとかなり怖いが、こういう顔の知人ってひとりやふたりはいるような。

かかしコンクールの写真3
かかしコンクールの写真4

柔軟な発想、ユニークさ、昔ながらの町並みなのに新しさがあるのは、江戸時代から様々な地域や年代の人々が集まってくる場所だったからかもしれない。そういえば清澄白河には、ブルーボトルコーヒーをはじめ、小さなコーヒー屋さんや目新しいコンセプトのお店がどんどん増えている。

やっぱり今でも、新しい血が入ってくる。空気が入れ替わる新鮮な街なのだ。

新鮮な自分になろう。

「まさか世界がこんな風になるなんて考えてもみなかった。」これは2020年に誰もが一度は思ったことだろう。当たり前だった日々の暮らしに制限がかかり、このコラムを書いている今でも、この先の未来にはまだ靄がかかっている状態だ。

しかしこれまで14もの区を巡って思うことは、関東大震災や東京大空襲のように物質的にも精神的にも大きな打撃を与えた過去を、先人たちは確かに乗り越えてきているということだ。当時の人々の心をはかり知ることはできないが、困難と不安の中でも平和を願い平和に向けて歩んできた先人の力強い歩みがあったからこそ、私だって、今こうしてのほほんと生きてこれているわけだ。

「まさか世界がこんな風になるなんて考えてもみなかった。」確かにそうだが、それを乗り越えてきた過去を知ることで、希望と勇気、これからの良い未来への道を作るのは私たちだという生きる意思と強さをもらったように思う。
加えて、柔軟でユニークさを忘れないこと、新しさを受け入れることも、より発展した自分であるために必要なエッセンスなのかもしれないとさえ思う。過去から学び今より一歩先の未来をつくっていく、そんな自分でいつづけたいものだ。

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