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猫ちゃん
しのだひろえの歩っとタイム Vol.38

それぞれの好きが集まる偏愛の街~区役所アート・中野編~

東京にはいたるところにアートがある。その最たるものが「区役所アート」、区役所にあるオブジェやアート作品のことだ。この区役所アートを紐解くと思わぬ区の歴史や背景が浮かび上がってくる。

推しは「犬屋敷」。中野の区役所アート

中野区役所の写真

本日ピックアップするのは「中野区」。最初からサブカルチャーの代表といえるディープな街を選んでしまった。

中野区役所アートの写真

まず中野区役所にある区役所アートといえば、この犬の像である。わんわん。

中野区役所アートの写真2

近くに寄ってみると、赤ちゃん犬もいてかわいい。わんわん。

これはかつてこの中野区役所、中野駅周辺が「犬屋敷」だったことに由来する。
5代将軍綱吉による生き物愛護政策、特に犬に関する保護命令により、1695年(元禄8年)10月には江戸の飼い主の分からない犬たちを収容する五つの「御囲」(おかこい)と関連施設が、当時の中野村ほか3村から土地を収容してつくられた。この「御囲」を表したのがこの犬の像である。
しかし広大な御囲もすぐにいっぱいとなり、一部の御囲をのぞく土地が返還され、武蔵野の村々へ預ける方向に転換されることに。

一頭あたり一分の養育費で村々に預けられたものの、1709年(宝永5年)の綱吉の没後はただちに返済が命ぜられたそう。中には、綱吉の死後50年にあたり返済が続いた村もあるという。

暗渠マニアには大人気!?桃園川

綱吉時代に作られた五つの御囲周辺に桃の木50株を植え、年々桃の木を増やし茶屋を建て庶民にも開放し、にぎわいある場所にしたのが8代将軍吉宗である。中野には「桃園」とつく土地や場所があるが、中野村に作られた中野村桃園は同時期につくられた王子飛鳥山・隅田堤・品川御殿山・小金井などの桜の名所とともに花見文化の形成に大きく関わったという。

いま、「桃園」といえば桃園川、桃園川緑道を思い出す人がきっと多いだろう。桃園川は全行程が暗渠で、新宿区と中野区の境から荻窪にまでのび生活の道でありお散歩道である。暗渠をこよなく愛する暗渠ファンなら知らない人はいない暗渠である。中には「桃園川の暗渠は丁寧につくられている」という暗渠ファンもいるようだからきっと何かファンの心をくすぐるものがあるのだろう。こういう身近なことで楽しめるというのは、幸せだ。

中野大好きナカノさん登場

中野大好きナカノさんの写真

犬屋敷や桃園川という江戸時代にだけフォーカスしては、区役所アートとしては片手落ち。あくまで私のイメージだが、あらゆる大衆文化を飲み込んで自分のものにしてしまう怪物・それが中野区。その中野区の現在のアート、それが「中野大好きナカノさん」である。

このナカノさんとは中野区公認のキャラクターであり、「中野大好きナカノさんプロジェクトについて」という中野区のページもあるほどだ。このページをぜひのぞいてみてほしい。
「中野が好きです会員」「ナカノさん交流会」など、区役所という公の機関が行うには右斜め45度をいく発想である。いや、発想ではなくそれを実現するバイタリティ、これが中野区らしい。頭が柔らかく遊び心がある。

偏愛の街。偏愛の区

中野区は明治期から昭和20年ほどまで陸軍施設がおかれたり、現在の東京23区ができあがる過程においてもあっちにいったりこっちにいったりと、時代や政治に翻弄された区のひとつである。そんな中野区だからこそ置かれている状況をなんとしてでも楽しむ、独自の文化が形成されていったのではないだろうか。その独自の文化こそ「偏愛」。ナカノさんも「自分が好きだと思うこと以外は、気にしない」というから、やはり偏愛である。

それぞれが「好き」を追求し楽しむ偏愛の街・中野区。自分だけの偏愛をもつ人にとっては魅力、極まりないはずだ。

<出典>

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