しのだひろえの歩っとタイム Vol.33
妄想歩き!?森鴎外と一緒に歩こう~森鴎外の歩いた道①~
正直、森鴎外は苦手だ。もともと本を読むのが苦手で途中で眠くなってしまうたちだし、頭脳明晰なエリート軍医というイメージの鴎外は、自分とは全く違う思考と生活をしていそうだし、まるで人間の分類が違う気がしていたからだ。さらに鴎外の鴎という字はパソコンだからすぐに出せるが書けと言われてすぐに書けるものでもないし、名前のせいか性格まで硬質で堅苦しい人だったのではないかという印象まである。完全な思い込みだとは分かってはいても苦手は苦手。ここまで伏線をはりながら今回私が歩いたのは「森鴎外の歩いた道」。あくまで篠田の目線を通して森鴎外が歩いた道の楽しさをお届けすることにする。
今では当たり前。“アレ”を立案した森鴎外
今、わたしたちが当たり前に使っている“アレ“を立案したのが森鴎外と言われている。”アレ“は、特に観光地ガイド本でお目当ての店を探すときには必須。きっとあなたもお世話になったことがあるはずだ。その”アレ“とは、縦線で区切られA,B,C、横線で区切られ1,2,3・・という升目が描かれた地図のことである。
ドイツに留学していた鴎外は、すでにヨーロッパでは一般的になっていたこの方眼図を日本の地図に取り込んだわけだ。1909年(明治42年)に春陽堂によって「東京方眼地図」として刊行され、左上には森林太郎立案(林太郎は鴎外の本名)と書かれている。
東京の様々な地図を集めていたという鴎外。地図の収集癖があるなんて、ちょびっと人間味を感じる。
森鴎外の立ち姿がかっこいい
森鴎外が1892年(明治25年)から1922年(大正11年)まで住んだのが観潮楼。東京メトロ千代田線・千駄木駅から団子坂という急坂をのぼりきったところにある。団子坂は森鴎外の「青年」を始め夏目漱石の「三四郎」など、多くの文豪の作品によくでてくる坂。坂とは何か人を魅了する力があるのかもしれない、余談だが。
今は観潮楼「文京区立森鴎外記念館」として森鴎外に関する展示や図書館も併設されている。カフェもあり本や雑貨も販売している。なんてったってドイツ帰りの鴎外の記念館である。ドイツのパンやワインなどカフェのメニューもおしゃれだ。
記念館の横には観潮楼跡として「三人冗語の石」も。三人冗語の石とネット検索すれば森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨の3人の写真がでてくるから見てほしいのだが、斎藤緑雨の、木にもたれかかるポーズなんて雑誌のモデルのよう。「どこで習ったの?」といいたいくらい決まっている。
私はこの記念館で、ドイツ・ミュンヘン留学中や陸軍軍医総監兼陸軍省医務局長だった頃の鴎外の写真を見てきたが、なにしろどの写真もポージングが決まっている。立ち姿がかっこいいのだ。森鴎外、いいじゃん。
森鴎外が歩いた道とは
今回は団子坂を始め、森鴎外が実際に足を運んだと思われる場所をめぐり、ところどころで美味しいものをほおばりながら楽しんで歩いて行こう。文京区・千駄木の観潮楼から、日本橋、銀座、新橋まで。近代日本の歴史もおいしいものもたくさん見つかりそうな予感でいっぱい。こうでなくっちゃ。
冒頭で、森鴎外は苦手だなんて書いておきながら、気がつけば鴎外のことでもう紙面はいっぱいである。森鴎外が歩いた道を私なりの感性で歩きながら、私なりに感じた鴎外の人となりを東京の街とあわせて次回からお届けする。空想妄想の中で森鴎外と一緒に歩こう。
<出典>
- 文京区立森鷗外記念館 特別展「鴎外の見た風景~東京方眼地図を歩く~」文京区立森鷗外記念館
- 文京区立森鷗外記念館 特別展「谷根千“寄り道”文学散歩」文京区立森鷗外記念館