渋谷は若者の街、そんな印象はありませんか?
確かに若い世代ならではの、驚くような文化や新しいファッションが生まれる地といったイメージです。
さらに近年は、渋谷ヒカリエ、渋谷スクランブルスクエアという新しいビルの数々。加えて東急東横線や銀座駅の刷新など、再開発によりさらに激変している渋谷の今と歴史を追ってみましょう。
渋谷に人が集まるのは必然!?
渋谷はその名の通り谷にあたり、表参道の宮益坂上から宮益坂下に歩けば、その急坂具合もわかるというもの。東京の麻布十番や横浜の山手・元町もそうですが、人々は高台に住み集うのは低い谷というのはどこの土地にもある傾向のようです。
人が集まりやすい谷には店ができ商店街として発展し賑わっていく。特に生活に欠かせない水、つまり渋谷川が流れる渋谷はその最たるものかもしれません。
しかし江戸時代の渋谷駅・渋谷川上流にあたる原宿付近をみると、江戸郊外といった印象で田舎の風情も感じます。当時はきっとのどかな土地だったのでしょうね。
現代地図1
江戸地図1
そののどかな地が大発展を遂げたのは、関東大震災(大正12年)によって下町から多くに人が転居してきたことがきっかけのひとつと言われています。一気に人が増え異なる文化や習慣、感性や情報が入り混じる経験をした街なんですね。
令和の現在、再開発によりさらに多様な人々が集まる街に変化しそのスピードはあっという間!例えば渋谷駅線路沿いにあった宮下公園は、商業施設「Rayard Miyashita Park」と公園「渋谷区立宮下公園」、ホテル「sequence Miyashita Park」で構成された「MIYASITA PARK」として2020年7月に大きく生まれ変わりました。とても近代的な複合施設になって清潔感もあり空の色まで変わってみえるようです。
ちなみにこの「MIYASITA PARK」の横にはひっそりと昔ながらののんべい横丁が残っており、何もかもなかったことになってしまう再開発の中でも、懐かしい風景が残っていてほっとします。
いつの時代も新しい文化が生まれる街
さてこの「MIYASITA PARK」を後にして、ここはいっちょ、渋谷川上流を目指しましょう。渋谷川は暗渠(ふたをして見えないようにしたり、地下に埋めた)になっているため、一見するとどこを通っているのは分かりません。しかし江戸地図と見比べるとその道は歴然、今のキャットストリートがまさに渋谷川だと分かります。
現代地図2
江戸地図2
そうと分かったらキャットストリートを原宿に向かって歩きましょう!キャットストリートの入り口には大きなオブジェがありここから約1キロの道が続きます。
キャットストリートといえば、個性的でエッジのきいたお店や若者たちが集まる場所。歩く若者の平均年齢は20代前半といった感じでしょうか、若者たちの聖地に踏み込んだようでなんだかちょこっとモゾモゾしてしまいますね。立ち並ぶ店も他とは一味違い、あのティファニーも銀座や六本木よりもカジュアルな外観。カフェも併設されているようですよ!
さて、オリンピックを機に暗渠となった渋谷川ですが、江戸時代に遡れば葛飾北斎の「富嶽三十六景」の「隠田の水車」にも描かれるほどのどかな川であり、きっと美しい川だったのだと感じさせます。隠田の水車をみると渋谷川で洗い物をしたり子供は亀を散歩させていたりと、当時のおだやかな生活が伝わってきます。
この隠田という地名は、実はキャットストリートに今も残っており、隠田橋跡には小さいですが碑も立っているんです。
またほんの少し横に入ると隠田神社もあり、手水をパチリ。若者たちが歩くキャットストリートとは思えないほど静かな神社です。
内なる個性を世に放ち自分を表現したくなる街
こうしてみると、渋谷という街は人々が集いやすく、新しいものを受け入れ変化させ独自の文化にしてしまう土地であるように感じます。そしてこれまでの経験をぶちこわすような新しい感性を生み出す勢いがあります。
その勢いこそこの街をけん引しているパワーの源であり、常に最新の街である理由といえるかもしれません。
そんなこの街のパワーは内なる個性を世に放つ強さと勢いを与えてくれます。
内なる個性を世に放ち、自己をもっと表現したいと思ったら渋谷という街、そしてこのキャットストリートを歩いてみてはいかがでしょうか。
きっと自分の殻から脱皮し、自分を表現したくなると思いますよ!