しのだひろえの歩っとタイム Vol.14
文学の世界にトリップできる街~神楽坂③~
ご存じでしたか?神楽坂が夏目漱石、尾崎紅葉、泉鏡花、北原白秋と誰もが一度は聞いたことのある名だたる文豪たちに愛された街であるということを。
知れば街の景色が違って見えるかもしれませんよ!
文豪に愛された街
まず神楽坂に住んでいたのが尾崎紅葉、泉鏡花、北原白秋です。
尾崎紅葉は、今の神楽坂駅からはやや離れた牛込神楽坂という場所に旧居跡がありますが、泉鏡花、北原白秋の旧居跡はメインの神楽坂通りから小路を入ったところにあり、今は新宿区指定史跡として碑と案内板が立っています。
新宿区指定史跡案内板によると、泉鏡花は「明治32年、硯友社の新年会で神楽坂の芸妓桃太郎(本名 伊藤すず)と親しくなり友人から借金をして明治36年3月、ここの借家に彼女と同棲することになった」と言います。しかし師匠である尾崎紅葉に激しく叱責を受けた為、すずは一時は鏡花のもとを離れますが、紅葉没後、鏡花は正式にすずを妻として迎えて明治39年7月まで住んだとのこと。このすずこそ、鏡花の「婦系図」にでてくるお蔦のモデルだそうで、まさに実生活での経験が小説のベースになったのですね。
これは神楽坂が花柳街であったからこその物語であり、神楽坂だから生まれた物語といえるかもしれません。
その後明治41年10月から翌年10月に本郷動坂に転居するまで住んだのが北原白秋です。白秋は若い頃に早稲田大学に通っていたため、早稲田と近い神楽坂には土地勘があったのかもしれませんね。
神楽坂はあの小説にも登場している!?
早稲田と神楽坂はゆったり歩いても1時間ほど。そんな早稲田で生まれ育ったのが夏目漱石です。
漱石は神楽坂までよく散歩したともいわれ早稲田と神楽坂の間には漱石山房記念館など、漱石にゆかりのある場所がたくさんあるんですよ。
漱石山房記念館は、漱石が晩年を過ごした通称漱石山房の跡地にできたカフェ併設の施設で、ここに来れば夏目漱石を深く知ることができます。
公園には猫塚(猫の墓)もあります。漱石が飼っていた猫がモデルになったのが「吾輩は猫である」だと言われますが、この猫塚は漱石没後に、遺族によって建てられたものだそうです。
また泉鏡花・北原白秋の旧居跡の後ろにある東京理科大学(旧東京物理学校)や、前々回ご紹介した善国寺(毘沙門天さま)は「坊ちゃん」に登場しています。
こうして名作にでてきた場所や道、そしてかの文豪が歩いた道を歩いていると思うと、より一層小説の世界が広がりますし、もう一度読み直したくなります。
そして神楽坂のお店は歴史のあるお店も多いもの。こちらの「相馬屋」さんは原稿用紙発祥のお店と言われ、夏目漱石を始め北原白秋、石川啄木、坪内逍遥など多くの文豪たちが愛用したそうです。
ここの原稿用紙を使えば、あなたもすらすらと原稿や小説が進むかも!?パソコンを離れて原稿用紙に手書きする時間はきっとイマジネーションが膨らむ時間になりますよね。
最後に、この神楽坂という街で文豪たちの跡を追うことで、文豪たちの思いやその人となりをもっと知れるかもしれません。これこそ大人の秋の楽しみ方のひとつ。
この秋はちょっと文学の香りを感じに神楽坂を歩いて感じてみませんか?