今日はこれまで綴ってきたこの行幸通りの歴史を紐解いてみましょう!
江戸時代には存在しない行幸通り
まずはこの行幸通りを1860年代の江戸地図と比べてみます。
現在の行幸通り周辺
江戸時代の行幸通り周辺
とても今の姿とは違い、想像もできませんね。
この東京丸の内は、大名屋敷が立ち並びまさに大名の街といえる街並みだったようです。また行幸通りのスタート地点でもある東京駅丸の内中央口前の道は「大名小路」とも言われていたようですから、名だたる大名達がみなさんと同じ道・街を歩いていたかもしれませんね。
ちなみに東京駅の開業が1914年(大正3年)、行幸通りの完成が1926年(大正15年)と言いますから、江戸地図の頃から100年も経たないうちに明治大正と時代が激変する中で、人々の暮らしも急速に変わっていったのだろうということは想像できます。
所々に残る歴史と今
行幸通りの途中、日比谷通り沿いに見えてくるのが江戸城和田倉門守衛所跡です。近代的なデザインと雰囲気からぐっと歴史を感じる雰囲気になってきます。
ここから右に少し歩けば和田倉橋、そしてこの橋を渡り和田倉噴水公園に入ってすぐにあるのが和田倉門跡です。
和田倉門跡について、説明版が立ててありました。
説明版に伊達政宗という名前が出てきて驚きましたが、江戸時代の行幸通り周辺地図を見ると和田倉噴水公園はもともと松平肥後守会津藩中屋敷であったので、なるほどとうなづけるものがあります。
この辺りはぶらぶらしているだけでも、歴史を感じさせる説明版を見かけることができます。こちらは特別史跡江戸城跡を示しています。
歴史に興味がある人もない人も、ふと立ち止まって眺めるとその道や街の感じ方が変わってくるかもしれません。
歴史を感じ今と未来をつくる、温故知新の道
行幸通りは、大名屋敷が立ち並ぶ大名街からほんの70年の間に開通し、さらに100年もしない平成でさらに現代的なセンスあふれる道に生まれ変わりました。
そんな道から広がる過去と未来、そして100年の間に江戸・明治・大正・昭和と時代が移り変わるという激動の時代と当時の人々の暮らしぶりや心持ちは、人生100年時代なんて言われる今の私たちにも何かのヒントになるかもしれませんね。
まさに「歴史を感じ今と未来をつくる、温故知新の道」といえるかもしれません。
過去の誰かの歩みが今をつくり、今の歩みが未来の誰かの歩みにつながる。
あなたが住んでいる街や道の歴史に思いをはせ、歴史と今を感じながら道を歩けばきっと新しい発見がありますよ!
歩っとタイムは、あなたの頑張る毎日を応援しています。