私がチャレンジャー「キャプテンさいとさん」だぞ!
今日から始まる情熱軌跡は、わたしキャプテンさいとが100選に認定されたトレッキングロードの全踏破目を指す前人未到、壮大稀有なチャレンジの物語だ。
今日は足慣らしに東京、いやいや東京をタイムワープして江戸の町を6kmほど歩くのだ。
お供は隊員の乙女ふたり。両手に華、華のお江戸でムフフフフッ……。
スタートは、桜田門。その前にこの日のために開発されたタイムワープアプリをスマホにダウンロード。これで現代のルートが150年ほど前の江戸の古地図にも表示される。
ルートは、桜田門から和田倉門、日本橋を渡って小伝馬町、ゴールは人形町の玉ひでで名物親子丼を喰らいます。
おおっ、さっそく隊員乙女A嬢がタイムワープマップに食いついてるぞ。歩きスマホは厳禁だからね。
土曜日なのに今日は、人では少なく歩きやすいコトこの上なし。
何時になくゆっくり歩く。すると普段見えなかったものが見えてくる。
今日の一番の発見は、丸の内。今はビジネス街だが当時は、松平のお殿様ほか三大名のお屋敷が占めていた。なんと贅沢なスペースの使い方・・・。
このエリアは、オフィスばかりかと思っていたが三菱一号館美術館をはじめ、いくつかの美術館が集まるアーティスティックなエリアになっている。
特に三菱の美術館は風情があり、明治の息吹も感じられ中々に良い。
歩いた後の玉ひでの親子丼、味が濃い目で意外に沁みる。
女性の向きには、人形町甘酒横町の甘酒も捨て難い。
華を両手に、そぞろ歩いてみるのも悪くない。
1スタート地点 桜田門/桜田門の変は、紀州 松平家と水戸一橋家の将軍継嗣争い
桜田門と言えば、だれでも思い浮かべるのが大老井伊直弼が暗殺された「桜田門の変」ですね。
当時の大老井伊直弼が、尊王攘夷派である吉田松陰をはじめ多くの志士たちを投獄・処刑した安政の大獄がキッカケでした。
もう一つの側面として、徳川家の将軍後継に纏わるお家騒動です。12代将軍家慶の死後、その後継として一ツ橋慶喜を押す水戸派と徳川喜福を押す紀州派の争いです。南紀派の直弼が大老に就任したことで、喜福が将軍と定められ、水戸派の恨みをかいました。さて、問題です。
井伊直弼が米国と結んだ不平等条約は何でしょうか?
2日本橋界隈クイズ 江戸文化の源、知れば知るほど面白い日本橋
長崎屋があった界隈、本石町の由来は、米穀商が多く集まっていたことからきています。当時は、お米の単位を“石”で表していたことから本石町の名がつきました。大名などの収入を石で表しますがそれでは一石は、現在の金額に換算すると、おいくらでしょうか。
一石=お米150kg/約\75,000くらいということで、例えば加賀100万石といわれる前田家の年収は750億円。となります。結構な大企業ですね。
3本石町~長崎屋とカビタン 平賀源内、葛飾北斎、杉田玄白らが集った海外情報拠点
日本橋室町3丁目交差点(交差点の角/室町4丁目:中原ビルディング)のあたりに長崎屋がありました。当時は、本国町3丁目の角のあたりです。
長崎屋は、薬種問屋を生業としていましたが、長崎出島の阿蘭陀商館長(カビタン)の将軍謁見の際の定宿でもありました。
土用丑の日にうなぎの蒲焼を食すことを広めた平賀源内もヨーロッパの情報を仕入れるため訪れていたようです。
4石出帯刀/伝馬町老屋敷(小伝馬町交差点)男気溢れる石出帯刀
石出帯刀は代々、小伝馬町の牢屋奉行を務めた家系です。
この石出帯刀が一躍脚光を浴びたのが明暦の大火でのことです。
この大火のおり、本来なら町奉行にお伺いを立てなければならないところ牢屋奉行石出帯刀、独断で囚人を解き放ちます。
逃げようと思えば簡単に逃げることができます。極刑を受ける身であった者も石出帯刀の信頼を裏切ることを良しとしませんでした。そして全員が戻ってきました。
このことに 幕府も「罪人と言えどもその義理堅さ誠に天晴れ。」とし、全員の減刑が実行されました。日本人って、ほんとイイですね。