人と倫
人生は長いと思われがちである。
しかし総じて生甲斐を感じている人生は短いものである。
そして人は人生をエンプティボトル(人生の空ビン)として迎えることになる。
だからやりたいことをやりなさい。後で後悔してもそれはむなしく遅い。
だからグラスの赤い酒は今呑みなさい。
後で呑もうと考えていると誰かが呑み干してしまうのが常である。
しかし総じて生甲斐を感じている人生は短いものである。
そして人は人生をエンプティボトル(人生の空ビン)として迎えることになる。
だからやりたいことをやりなさい。後で後悔してもそれはむなしく遅い。
だからグラスの赤い酒は今呑みなさい。
後で呑もうと考えていると誰かが呑み干してしまうのが常である。
開高 健
説く(1)
年だけは重ねる。長生きはしている。
だが本当に自分らしいと思い信じて生きた時間はそうないのではないか。
酒を呑む、呑み干す、ボトルが空になる。
しかし乍らその酒の本当の味を何滴、美味しく感じて呑んだのかよく解らない。
だから酒を呑むときはじっくりと味がしっかり解るようにしかも場を解って呑む。
自分が美味しいと思ったら今呑む。
美味しい酒の味は自分にしか解らないものである。またそうありたいものである。
だが本当に自分らしいと思い信じて生きた時間はそうないのではないか。
酒を呑む、呑み干す、ボトルが空になる。
しかし乍らその酒の本当の味を何滴、美味しく感じて呑んだのかよく解らない。
だから酒を呑むときはじっくりと味がしっかり解るようにしかも場を解って呑む。
自分が美味しいと思ったら今呑む。
美味しい酒の味は自分にしか解らないものである。またそうありたいものである。
説く(2)
誰しも人生の終わりの時期がくる。長い短いはあったとしても終わりがくるものである。
どんなに豊かで恵まれていても どんなに貧しくて打ちひしがれていても、嘆き哀しんだとしても 人は同じようにエンプティボトル(人生の空ビン)になる。
あれだけ満ち足りていた赤いワインボトルも あれだけ闊達だった強い命のウィスケポー(生命の水)も 自分が呑んだのは、数滴かもしれない。
だからこそ命の水である酒を呑むときは、命がけでその時間と心よい滴を自分の中にながしこむことだ。
それが至福の刻というものだ。
どんなに豊かで恵まれていても どんなに貧しくて打ちひしがれていても、嘆き哀しんだとしても 人は同じようにエンプティボトル(人生の空ビン)になる。
あれだけ満ち足りていた赤いワインボトルも あれだけ闊達だった強い命のウィスケポー(生命の水)も 自分が呑んだのは、数滴かもしれない。
だからこそ命の水である酒を呑むときは、命がけでその時間と心よい滴を自分の中にながしこむことだ。
それが至福の刻というものだ。