人と倫
心というものは、誰も形として見たことがない。
しかし、生きる道標、生きる糧、人生の航路などと心の道がある。
偉人や高名な小説家、哲学者が含蓄に満ちた心の魂に響く言霊を残している。
その言霊に触れるとき、人各々の想いがある。
あなたならこの言霊をいかに読み説くか。
お読みになった方々の諸々ご高説を賜ればと思います。
このシリーズは、継続します。お楽しみに。
諸君、大兄へ
「男は悠々として、かつ急げ。」
開高 健
人 の 倫ぽ・つ・り、翁の戯言
令和3年2月22日、80年という年月を生きた節目を迎えた。
世の中、今や100歳まで生きれるという。
「生きれるのか、生きているのか」はたまた「生きたいのか」あまり深く考えたくない。
考えると難しくなる。だから無意識に生きて行けるかというとそうでもなさそうである。
これまでいろいろな途のりがあったのだろうが不思議と大きな傷みが感じられない。
かといって、楽な生き方であったのかと自らに問うてみると結構曲がりくねっていたりもする。他人様にも相当な迷惑をかけてきたことも多々ある。
お金のこと、仕事のこと、諸々の交際(ふれあい)のこと、反省と後悔。お詫びをしても尽きない温情に対する不義理の数々。
それでも80歳まで生きられた、生きてこられたと思うのは大間違いである。生かされてきたのかもしれない。
かつて若いころ著名な人に接し、感銘を受け、こう在りたい。かくあるべし。と一つの道筋を歩いたこともある。
しかし、歩いたつもりで歩いたのではないような気が今はしている。
ともあれ、今は80歳である・・・・・・。
つい先日の朝、テレビを観ていると仏教に通じた方が空海のことについて話されていた。
人の倫についてとても解りやすく空海が説いたという「法の道」という言葉。なるほど、なるほどそういうことなのか。ほんの少しだけ解りかけた。
人は誰でも施しということができる。施しという道を極めた人が人を説くことやお金をたくさん持っている人が、貧しい人に分け与える。あるいは、親が子に愛情という温もりをもって育み、道を一つ一つ示し後ろ姿で伝える。
「法の道」の空海は、「無財の七施是眼施(むざいのしちせこれがんせ)」すなわち、微笑みの施しであると説いている。
つまりは、人は誰もが人に愛や喜びを与えることができる生きものである。それは、お金とか力とかではない。微笑みをもって人に接すれば相手にも温かく心に伝わるものだ。という意味だそうである。
昨今、人と人が顔を合わせて表情や手振り身振りで情感を伝えることが少なくなっているように感じる。
どうもデジタルという便利な世の中がある意味、人の温もりを失くさせているのではないか。ともあれ、これからは難しく考えず、もう少し、何らかの役をもって生きることにして人の倫をはずさないで生きてみたいと思う。