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【第38回】みちびと紀行 ~中山道を往く(上尾宿~桶川宿) みちびと紀行 【第38回】

県道164号鴻巣桶川さいたま線の写真県道164号鴻巣桶川さいたま線
街道脇の南方神社、通称「お諏訪さま」の写真街道脇の南方神社、通称「お諏訪さま」

8:45am、電車は、JR高崎線・宮原駅についた。
昨晩はこの宮原駅まで歩いたので、今日はここから、中山道歩き旅・第3日目をスタートする。
天気予報は晴れ、降水確率0%で、予想最高気温は22℃という、2月下旬にしては、絶好の街道歩き日和だ。

街道脇の石仏の写真街道脇に石仏がぽつんと残されている
氷川鍬神社の写真氷川鍬神社

旧中山道は「県道164号・鴻巣桶川さいたま線」として、JR高崎線と国道17号の間を鴻巣宿の先まで北上していく。
さほど交通量が多いわけではなく、歩道も分離されていて歩きやすい。
昔ながらの神社やお寺、そして石仏が、ぽつんと街道の面影を残している。
やがてJR上尾駅の道路標識が見えてきて、上尾宿の総鎮守、氷川鍬(ひかわくわ)神社が現れた。
上尾宿本陣があったちょうど真向かいにあたる場所だ。
朝の通勤で足早にやってくる人々の何人かが、この神社の前で立ち止まって手を合わせ、一礼して、また忙しそうに去っていった。
まるで子どもの頃からそういう習慣でもあるかのようで、信心深く「お参りする」というよりも、いつも通り「ご挨拶する」という表現の方がしっくりくる。

身代り拭不動尊 遍照院の写真身代り拭不動尊 遍照院
園児たちがごあいさつの写真園児たちがごあいさつ

上尾駅を過ぎて脇道の奥をのぞくと、大きなお寺が見えた。
「遍照院」という真言宗のお寺で、両脇に梅が咲いている山門をくぐると、掃除をしていた法衣の女性がその手を止めて、ほがらかに朝の挨拶を返してくれた。
境内を散策していると、ちょこまかと動き回りながら園児たちが入ってきて、本堂の前で一列に並んだ。
「おはようございます。元気でみんなが過ごせますように。」
園児たちのさえずるような声が境内に響きわたる。
春を告げる小鳥たちを見ているようで、冬の終わりを感じさせた。

木戸址の写真桶川宿の入口に「木戸址」があった

上尾宿から桶川宿までは3.7kmしかない。
考えを巡らしながら歩いていたら、いつのまにか桶川宿に着いていた。
宿場町の間隔は、それぞれの町や街道の機能によって様々だ。
桶川宿は、日本橋から数えて6番目の宿場町で、距離にすると約40.8km。
江戸を出立した旅人が1日目に宿をとる場所としては、大宮宿、上尾宿、そして頑張ってもこの桶川宿までだったらしい。
「江戸の旅人は、1日に10里(約39km)歩いた」と言われていて、それは東海道を歩いたときにも妥当だと実感したけれど、この「十里」あたりが歩きの限界だろう。

(参照:【第16回】みちびと紀行~東海道を往く)

「べに花の郷」桶川宿の写真「べに花の郷」桶川宿に着いた
武村旅館の写真国登録有形文化財の「武村旅館」、今はもう閉じている
昔日の面影が残る写真昔日の面影が残る

桶川宿は、染料の紅花やその他の農作物の集散地で、江戸末期には経済的にも文化的にも相当繁栄していた。
特に紅花は「桶川えんじ」と呼ばれて、このあたり一帯で盛んに栽培され、出羽国最上郡の「最上紅花」に次いで全国第2位の生産量を誇っていた。
この地での紅花の栽培の始まりは、桶川郷の農家の七五郎が、江戸の小間物問屋「柳屋」から紅花の種を譲り受けて栽培したのが始まりであるとのことだ。
世界の「園芸植物センター」だった巣鴨、浦和のさつまいも「紅赤」、そして桶川の「紅花」と、「種苗街道」という中山道の特徴がここでも伺えた。

中山道宿場館の写真中山道宿場館

街道沿いに、桶川市観光協会が運営している「中山道宿場館」があったので寄ってみる。
がらがらと引き戸を開けると、「いらっしゃ~い」と元気な声が僕を迎えてくれた。
東京から中山道を歩いていることを告げると、2人の女性が、いつもそうしているかのように、何やかやとこの町の情報を教えてくれる。しかも、それが歩き旅の人向けのものだったので、とても助かった。
係りの女性は、ご自身も街道を辿るのがご趣味で、車を使って全国各地の街道巡りに行ったということがあるという。
どうりで勘所をつかんでいるわけだ。
あれこれ手帳にメモをとりながら、楽しいひとときを過ごした。

桶川稲荷神社の境内にあった小さな祠の写真桶川稲荷神社の境内にあった小さな祠

この近くに「桶川稲荷神社」があって、そこに日本一の「力石」があるというので、行ってみることにした。
ぶらぶら歩いていたら、携帯電話が鳴った。
電話に出ると、さきほどの宿場館の女性で、「手帳をお忘れですよ、今、もうひとりが自転車で向かってます」とのこと。
しまった!とても大事なものなのに、どういうわけか、僕はこういう忘れ物をよくしてしまう。
自分の名刺を渡しておいてよかった。
稲荷神社の前にもうひとりの女性が先回りしていて、「ああ、よかったわ」と手帳を渡してくれた。
僕の方こそ本当によかった。

重量日本一の「力石」の写真重量日本一の「力石」

神社の拝殿に向かって右側に、その「力石」はあった。
長さ1.25m、幅0.76m、重さ610kg。
力石は、力試しに使われる大きな石のことで、江戸から明治にかけて日本全国で石を使った力試しが行われていた。
特に、武道を習うのが一般的でない村落のような環境では、「強さ」を示すためにこの力石が用いられて、猛々しい若者組の増長を抑える上でも、この「力試しイベント」が大いに役立ったらしい。
これも、オリンピックと同様に「平和の祭典」なのだろう。
自分の「強さ」を確かめ、周りに示し、承認を求める行為は、今も昔も変わらない本能的な欲求なのだ。
説明板には、武蔵の国・岩槻生まれの「三ノ宮卯之助」という人物が、嘉永5年(1852年)にこの石を持ち上げたとある。
重量挙げの世界記録を調べたら、男子105kg超級のジョージアの選手がリオデジャネイロ五輪で持ち上げた473kgが世界記録だった。
この石は610kgだから段違いに重い。
もしそのときの石がここにあるものだとしたら、人類史上の最高記録ということになるのかもしれない。

手打ちうどんいしづかの写真「手打ちうどんいしづか」で名物のうどんを食す

時刻は正午、そろそろおなかが空いてきた。
先ほどの宿場館で、桶川名物はうどんだと聞いてきたので、迷うことなくうどん屋に直行した。
埼玉県は、県北部を中心に、日本の三大麦作(ばくさく)地帯のひとつに数えられるらしく、「朝まんじゅうに、昼うどん」という言葉が農家には伝わっていたそうだ。
ということは、僕はその埼玉県の流儀に則った昼食をとっているわけだ。

田舎汁うどんの写真田舎汁うどん、硬い!美味い!

「桶川うどんには、噛んだら前歯が折れたという都市伝説があります」とタウン誌に説明があって、おそるおそる口に入れてみる。
「かったっ!(硬)」
前歯が折れないまでも、歯ごたえはすさまじい。
「食べる」と「食らいつく」の中間くらいの積極性を必要とする。
口の中で何度も咀嚼するうちに、甘みを帯びた深い味わいが広がっていった。
「こいつはいける!」
こしの強さと飽きのこない味で、気に入った。
「荒ぶる系うどん」ということで、この町のそばを流れている「荒川」を彷彿させるご当地名物だった。

辻村みちよ顕彰碑「滋味」の写真辻村みちよ顕彰碑「滋味」

「宿場館」のすぐ先には、「辻村みちよ博士の顕彰碑」があった。
彼女は桶川出身で、日本初の女性農学博士であり、緑茶の研究で名高い人だった。
最初の発見は、理化学研究所の「鈴木梅太郎研究室」でのことで、緑茶にビタミンCが多く含まれていることを発見し、この発見が、北米向けの日本茶の輸出拡大をもたらしたとのことだった。
貧しい国から脱しようと懸命に富国にいそしむ日本にとって、緑茶は生糸に次いで重要な輸出産品だったから、彼女の発見は、大いに日本の発展に貢献したことだろう。
緑茶の成分研究はさらに進み、彼女は、緑茶にカテキンが含まれていることを世界で最初に発見する。
「カテキン」という名も、今では緑茶の代名詞くらいに知られている。

ここにある顕彰碑は、辻村博士の姪が、深く敬愛する叔母のことを思い作ったもので、「滋味」の文字は、博士自らが晩年に揮毫したものとのことだ。
「滋味」とは、栄養があって美味しいこと。そして、豊かで精神的な味わいを意味する。奥行きのある言葉だ。
緑茶の深み、人生の深み、いずれにせよ、この文字を選んだ晩年のその人の心境は、まちがいなく穏やかで充足していたことだろう。

次の宿場町は鴻巣だの写真次の宿場町は鴻巣だ

時刻は、1:10pm、気温がすでに22℃に達した。
胃の中にずっしりとおさまった「荒ぶる系うどん」の腹ごなしも兼ねて、北に向かってまっすぐ続く中山道を、腕を振りながら歩いていった。

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