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【第26回】みちびと紀行 ~山の辺の道を往く(疫病との戦い) みちびと紀行 【第26回】

崇神天皇陵の写真崇神天皇陵だ!大きすぎて撮影が難しい

崇神(すじん)天皇陵が見えた。
第10代の天皇であり、
田道間守(たじまもり)に「ヤマトタチバナ」を持ち帰るミッションを与え、当麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)に力比べをさせた垂仁天皇の父、
纏向日代宮(まきむくひしろのみや)に宮殿をもち、晩年は近江国に宮殿を移した景行天皇の祖父、
そして、ヤマトタケルの曽祖父に当たる帝だ。

崇神天皇の系図の写真
崇神天皇の系図 出典:Wikipedia

天皇の名前に使われる諡(おくりな)にはそれぞれ意味がある、という話がある。
名前の中に「神」の文字を持つ天皇は、何か新しいことを創始した偉大なる天皇(神武、崇神、応神など)。
「徳」の文字を持つ天皇は、暗殺や自死、憤死など、不慮の死を遂げた帝(文徳、安徳、順徳など)。
そして、「崇」の文字を持つ天皇は、何かしら怨霊や祟(たた)りと関係のある帝(崇峻、崇徳、崇道など)というものだ。
その説が正しかったとしたら、「神」の上に「崇」という文字を持つ崇神天皇とは、一体どんなお方だったのだろう。

崇神天皇の御代のはじまりは、疫病との戦いだったらしい。
そのことは、「古事記」と「日本書紀」(記紀)に記されていて、「疫病のせいで人口が半減し、百姓(おおみたから)は流浪し、朝廷に背くものがあとを絶たなかった」とある。
「人口が半減した」ってすごいよな。ほぼ壊滅状態じゃないか。
今大騒ぎのコロナ禍なんて、死亡者数は全人口の1%にも満たないのに。
当時、疫病や天災は、何かの祟り、怨霊のしわざだと思われていて、これをお祭りして鎮めることが、天皇の最大の責務だったようだ。
宮中では、あらゆる神様を祭ってみたものの効果が無く、まずは、娘の豊鍬入姫命(とよすきいりびめのみこと)に、それまで宮中で祭られていた天照大神(あまてらすおおみかみ)の御霊(みたま)を託して、「元伊勢」の地(ここまでの道のりで通り過ぎた檜原神社)で祭ることにした。

三神の神器の写真
三神の神器 出典:Wikipedia

なぜ宮中の外に出すことが良いのかはよく理解できなかったけれど、このとき以来、三種の神器のうち、八咫(やた)の鏡と天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)の本体は、宮中の外で祭られることになったらしい。
それでも疫病はしずまらず、占いをしたところ、三輪の大物主神(おおものぬしのかみ)が現れ、「私を祭れば万事うまくいく」と神託を下した。
そして大物主神を祭ったのだけれど、それでも疫病がしずまらないので、一体どういうことかと崇神天皇が身を清めて祈ると、崇神天皇の夢の中に大物主神が現れた。
「祭り方を間違っておる、わが子孫の大田田根子(おおたたねこ)を探し出して、そやつに祭らせろ」と告げたらしい。
やがて、大田田根子という人物が見つかり、彼に正しい作法に則って大物主神を祭らせたところ、ようやく疫病がしずまり、平穏が訪れたということだ。

大直禰子神社の写真大直禰子神社 出典:大神神社ホームページ

神社のお参りの作法そのものが疫病対策に効果があった、という話を聞いたことがある。
参拝の時に、流れるきれいな水で手を洗い、口をすすぐからだ。
コロナ禍の今では言うまでもなく、古代からの基本の「き」なんだろう。
この大田田根子さんは、全国の三輪さん、美和さんのご先祖様にあたるようだ。
大神神社の境内図をよく見ると、あった!「大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ)」が。
当てはめる漢字が違ったので、調べてみると、「禰子(ねこ)」とは、神主の下の位の禰宜(ねぎ)の子孫のことを言うらしい。
ちなみに、「ネコもしゃくしも」の語源は、「禰子も釈子も」だったらしく、「釈子」とはお釈迦様の弟子のことなので、意味は「神様をお祭りする人たちもお釈迦様の弟子たちもみんな一緒に」なんだそうだ。へええ。

「古事記」や日本書紀」には、とかく神がかった話がたくさんあって、謎が多い。
「ま、しょせん神話でしょ」と言う人はいるけれど、僕が気になるのは、そのエピソードの内容だ。なぜそういう筋書きの物語が神話にあるのか。
まったく下地のない状況で空想の物語を創作するのは、すごく難しいことくらい、作家の人たちであればご存知のはず。
エピソードには「実話の下地」や「共通の価値観」があるとみるのが自然だろう。
記紀のいずれも朝廷によって公式に編纂されたものであることは確かで、「大和朝廷の正当性や権威を明らかに知らしめるために整えたものだ」という見解については、ほとんどの歴史学者は賛同している。
けれど、そうであるなら、なぜ天皇の権威や権力を高めるために、もっと華々しいストーリー立てにしないのか?なぜ天皇はこんなにも微力に描かれているのか?
天皇の権威を高めるどころか、神々や敵対勢力に翻弄されまくり、ズタボロになっているところで協力者が現れて、なんとか困難を克服するというパターンばかりじゃないか。
だからこそ、この記紀に記された一つひとつのストーリーには、壮大なくせに空虚な大見得なんかではなく、実際に様々な困難を謙虚に調整し、克服してきた、「隠れた符号」としての実話の下地があるんじゃないか、という直感がある。
この崇神天皇、人口が半減しても国を捨てずに踏み止まり、娘に三種の神器の二つを持たせて旅立たせ、ご自身も何度も身を清めて、人民を代表して神々を祭る責務を果たした。
「苦難を人民と共にして真摯に向き合った」という点で、愛すべき、頼れるリーダーであったに違いない。
現在に至るまでずっと行われている宮中祭祀や、神社の参拝方法・儀式が確立されていくのは、この崇神天皇のあたりかららしい。

野辺の花々が美しい写真野辺の花々が美しい

「歩く」という行為は、思索するのにうってつけだ。
手がかりの断片をつなぎ合わせるように、山の辺の道を進んでいく。
またまた眺望がひらけた楽しい道になってきた。
ご近所の方々が、道沿いに花々を植えてくれていて、それらを眺めているだけで心が和やかになっていく。

大きな濠がある集落の写真大きな濠がある集落

やがて濠をめぐらせた集落に入ってきた。
よくよく見ると、濠の中に金魚がたくさん飼われている。

中に金魚が泳いでいる写真中に金魚が泳いでいる

コロナ自粛で、縁日の金魚すくいも随分中止になってしまっただろうから、結構ダメージあっただろうな。
金魚は生き物だし、金魚すくいにはちょうどよい大きさというものがあるだろうから、どうするんだろう?気の毒になる。

石上神社まであと2.6kmの写真石上神社まであと2.6km

ここでようやく、無人販売所に、きれいに熟した柿が5つで100円で売られているのを発見!迷わず、100円硬貨をチャリンと竹筒に入れた。
さっそくその先の水場で軽く洗って、皮ごとかぶりつく。
この、トロリとしているのに後味のさっぱりとした甘さ、ほかに例えようがない。
日本に柿があってよかった。

懐かしい雰囲気の集落に入ってきた。
山の辺の道は、道しるべがしっかり整備されていて、たのもしい。
「石上神社まであと2.6km」とある。

時刻は12:30pm、意外に早く着きそうだ。
いつも思うことだけれど、街道歩きをしていると、ゴールに近づけば近づくほど、達成感の中に寂しい思いがないまぜになってくる。
「もう旅が終わってしまうのか、、、」と。
こういう「歴史ミステリー探検歩き」の楽しさを覚え始めたばかりなので、まるで「なぞなぞ」をねだる子どものように、「もっと歩きたい」という気持ちになっている。
そしてその先に、「古代史最大の謎」が待ち構えていようとは、、、。
この時はつゆほども知らない。

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