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【第8回】みちびと紀行~北国街道を征く(坂木、戸倉) みちびと紀行 【第8回】

太鼓判マーク

坂木宿を出たのは午後2時だった。
夏の日差しが容赦なく照りつけ、シャツにうっすらと塩が浮き出した。
今日のゴールは戸倉宿。
そこで僕は、北国街道歩きの旅をひとまず終える。

坂木宿を出てほどなく、横吹坂の辺りに差しかかった。
かつてここは北国街道の難所で、千曲川がぶつかる岩山の中腹を、人と牛と馬が、逆巻く流れを見下ろしながら、危険を冒して越えていった。
江戸から明治にかけて街道の往来が自由になり、商売で上田や長野方面に行き来する人も増えたので、明治9年(1876年)、付近の村人が、千曲川の川縁に、荷車や人力車も通れるような平らな道を作りたいと、長野県令に請願を出した。
「横吹坂の道を壊さずに、いつでも通れるようにしておくのであれば、新たに道を作ってよろしい」と、県令は許可を出した。
そして、坂木村の人々が交代で工事に参加し、硬い岩にくさびを打ち込み、岩石を落とし、砕石を運んで、翌1877年には、川縁に「横吹新道」と呼ばれる新しい道が完成した。

横吹道の看板の写真横吹道は、200年以上も使われていた

どれほど大変な道だったのか見てみようと、「これが横吹坂の道かな」と、見当をつけて山道を登り出した。
蜘蛛の巣をよけながらしばらく進んで行くと、この先が続いているのか怪しくなってきたので、来た道を戻った。
「横吹坂の道を、いつでも通れるようにしておくのであれば」という、当時の長野県令が付けた条件は、現在にまで続く合理的な効力はなかったらしい。

横吹新道の写真横吹新道に出た

気を取り直して、舗装された道を素直に歩き、しなの鉄道の線路をくぐって進んでいくと、千曲川が現れた。
横吹新道に出たのだ。

千曲川が削り取った岩山としなの鉄道の写真千曲川が削り取った岩山の下をしなの鉄道がはしる

今では国道になって整備されているけれど、昨年の台風の時のように、幾度となく暴れまくったのであろうこの川の脇に、住民の力だけで道を通すとは、相当の覚悟と不屈の精神と団結力がなくては不可能だっただろう。
そう思って、ごつごつした山肌を見上げながら、この地点を通過した。

千曲市の写真千曲市に入った。北国街道は踏切を渡って続く
旧街道の記憶を残す道しるべの写真旧街道の記憶を残す道しるべ

さあ、千曲市に入ってきた。
道路の看板の温泉のイラストが、戸倉宿が間近であることを教えてくれる。
とにかく、湯を浴びてさっぱりしたい!そして、生ビールを飲みたい!
そんな欲求が突如湧いてきて、頭にこびりついて離れなくなってしまった。
悪いことに、目的地までの距離の長さを意識し始めるようになって、一歩一歩の足取りに、疲労と痛みを覚えるようになってきた。
気楽な歩き旅だったのに、修行のようになってきた。
煩悩を振り払おうと、歩くことに集中してみるけれど、心の中では、「オンセントビール、ソワカ」とマントラを唱えている。

ふと、日常生活で、ここまで物質的な何かを渇望することがなかったな、と気づく。
スーパーやコンビニの商品棚から、何気なく手にとり、かごに入れる。
それが本当に欲しいものなのか意識せず、しかもそれが何だったのか、覚えていないことさえある。
でも今の僕は、心の底から「温泉に入って、その後で一杯の生ビールを飲み干したい」という、意識された欲求を持っている。
そう、これは幸せなことなのだ。

戸倉国民温泉の写真戸倉国民温泉昭和の佇まい

やがて、「ようこそ戸倉温泉へ」の看板が見えてきた。
僕の足は一挙に速度を増す。
どこか手頃な立ち寄り温泉がないかと、キョロキョロ看板を見ながら歩いていると、それはあった。
「放流式・掛け流しの戸倉国民温泉」と看板にある。

のれんを分けて入ると、番台の上で女将さんが迎えてくれた。
大人300円也。
外見は昭和の雰囲気だけれど、お風呂場はわりと近代的で、清潔だ。
ぷうんと硫黄の香りがする。
汗まみれの身体を洗って、湯船につかる。
じわん…。
体内の疲れと痛みが解き放たれていくのと交換に、温泉の成分が体内に沁み込んでいく。
人生の大先輩がお二人いて、備え置かれた茶碗で、湯口から温泉水を飲んでいる。
僕はといえば、この後の生ビールとの兼ね合いがあるので、飲泉はほどほどにしておいた。

定番の牛乳をグビグビの写真定番の牛乳をぐびぐび

さっぱりした。
残るもう一つの欲求、生ビールをどこで飲もうか。
とりあえず定番の牛乳を飲み、扇風機の風に当たりながら、壁の時刻表を眺めていたら、ちょうどよい電車があった。
まだ居酒屋が開く時間ではないので、それに乗って上田まで行き、生ビールはその後でゆっくり味わうことに決める。

戸倉駅の写真今回のゴール戸倉駅。一抹の寂しさがよぎる

温泉から歩いて15分、午後4時に戸倉駅にたどり着いた。
ここで、今回の北国街道の歩き旅・シーズン1を終えることにしよう。

戸倉から上田まで、しなの鉄道に乗って車窓を眺めていると、これまで歩いた道が、時々現れては、風のように過ぎて行く。
この電車では15分足らずの道のりだけど、冒険のように旅をした気分になっているから不思議だ。

祝杯の写真上田でひとり祝杯を挙げる

上田駅について、東京行きの新幹線の出発まで十分に時間があることを確かめる。
さあ、ビールだ!
さっそく生ビールの貼り紙を見つけ、店に入り、ひとり祝杯を挙げる。

ビールを一気に飲み干して、しばらく旅の余韻に浸る。
信濃追分から戸倉まで、辿った道と出会った人びとを思い起こす。
無事に旅を終えた充実感を味わう。

そして、心は次の旅に向かう。
次はどこを歩こうか…、と。

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